第五百三十夜 藺草慶子の「鶴翔てり」の句

 私は影が好きだ。外に出ればスマホでよく写真を撮る。私自身の影も写真に取り込むようになったのは、2年前、大腿骨骨折で手術とリハビリで2ヶ月の入院を終えて帰宅した春の桜満開の頃からだ。遠景と私の影。落花の道と私の影。こうした写真がスマホのカメラに溜まってゆく。スマホの写真で嬉しいのは、画面を大きくして見ることができること・・。
 驚いた! 大きくすると、私に覆われた黒い影の部分は、ファインダーで覗いたときは真黒であった筈なのに、地面に落ちた花びらが白く浮き上がっているではないか。理科も科学も苦手だが、ぼんやり思うのは、光とカメラの・・たとえば現像の力であろうか。

 犬の夜の散歩は私の役目。やんちゃすぎるラブラドール・リトリバーの仔犬時代、すれ違う人にも犬にも小鳥にも、すぐに追いかけ、じゃれ合っていた。大型犬の騒ぎなので、大腿骨骨折後の杖の身となった私は、人通りの少ない夜の散歩係となった。
 街灯のある角を曲がると、犬と私と杖の影が、前方に黒々と長々と映る。だが今夜は、もう1つ淡くぼんやりした影が右横にあることに気づいた。道の左側は畑が広がっている。夜空を見上げると十三夜の月明かりがあったのだ。光源の数だけ、濃淡それぞれの影が生まれるのだった。
 
 小説の『影を失くした男』やアンデルセンの童話『影法師』など読んでいたが、今回は河合隼雄の『影の現象学』を読みかけているが難解だ。
 河合隼雄は、影との「つき合い」は危険に満ちているが、その意義も深い。影は「もう一人の私」の存在として自覚されることが多いという。影が好きな私だが、まだ内面の深さまではわかっていない。
 
 今宵は、藺草慶子の「影」を詠み込んだ句を紹介させて頂く。
  
  ゆるやかに影を岐ちて鶴翔てり  藺草慶子 『野の琴』
 (ゆるやかに かげをわかちて つるたてり)

 句意は、1羽の鶴が翔び立とうとしている。それは大地に映っていた影と鶴とのゆっくりした名残のような岐れる姿でしたよ、となろうか。
 
 藺草慶子さんは、「この明るさのなかへ/ひとつの素朴な琴をおけば/秋の美しさに耐へかね/琴はしづかに鳴りいだすだろう。」という八木重吉の詩の1篇を引いて、私もこんな琴でありたいと、自身の作句信条を語っていたという。
 掲載は、鶴の翔び立つときの残影であり、音楽に影というものがあるならば、まさに八木重吉の詩の秋の美しさに思わず鳴り出した幽かな音色となろうか。
 「影を岐ちて」の表現から、鶴の頭、胴体、羽の動き、そして最後に地をゆるやかに離れてゆく鶴の細く長い脚を思った。【鶴・冬】

  ぶらんこの影を失ふ高さまで  藺草慶子 『野の琴』
 (ぶらんこの かげをうしなう たかさまで)

 句意は、影というものは落ちてゆく地とか壁などの場所がないと映らない。ぶらんこを高く漕いでゆくに従って、影は地上からだんだん高くなってゆき終には影を失ってしまいましたよ、となろうか。

 子どもはぶらんこが好き。この漕ぎ方は男の子にちがいない。どんどん勢いをつけて漕ぎ、どんどん高くなってゆく。傍で見ているお母さんはハラハラドキドキだ。地面に落としていた影はいつの間にかどこへ行ったかわからない。それほどのスピードと高さである。
 中七の「影を失ふ」は、ぶらんこの影という実体を失ったということだけではなく、不安感がピークに達したお母さんの心の陰影と言ってもいいかもしれない。

 藺草慶子(いぐさ・けいこ)は、昭和34年、東京都生まれ。東京女子大学白塔会にて山口青邨に師事。古舘曹人指導の俳句道場「ビギン・ザ・テン」を経て斎藤夏風の「屋根」、黒田杏子の「藍生」に所属。平成8年、第2句集『野の琴』で俳人協会新人賞受賞。平成18年、石田郷子、大木あまり、山西雅子とともに「星の木」創刊、同人。平成28年、『櫻翳』により第4回星野立子賞受賞。句集は、『鶴の邑』『遠き木』。俳人協会幹事。日本文芸家協会会員。
 
 私もある期間「屋根」に所属していたので、藺草慶子さんの作品を書きながら、句会でお目にかかっていたことを思い出している。