第五百三十一夜 阿部みどり女の「デージー」の句

 1564年4月26日はウィリアム・シェイクスピアが誕生した日(洗礼日)。劇作家、詩人。イギリスのストラトフォード=アポン=エイヴォンの生まれ。イギリスの代表作品の4大悲劇『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』をはじめ、『ロミオとジュリエット』『ヴェニスの商人』『夏の夜の夢』『ジュリアス・シーザー』など。
 
 昭和20年生まれの私たちの小学生時代は、漫画でなく、少年少女文学全集で読んでいたし、後には映画になり舞台になりバレーになった作品にも触れていた。
 誰もが知っているシェイクスピアの名言といえば、ハムレットの「To be, or not to be that is the question. 」であろう。
 
 初めて『ハムレット』の翻訳をした日本人は坪内逍遥。1909年『ハムレット』に始まり1928年『詩編其二』に至るまで独力でシェイクスピア全作品を翻訳刊行した。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館は、逍遙の古稀とシェイクスピア全訳の偉業を記念して創設されたものであるという。
 翻訳の最初の一部を、当時のまま紹介しよう。
 
 [ハムレット]世に在る、世に在らぬ。それが疑問ぢゃ。残忍な運命の矢や石投を、只管(ひたすら)堪へ忍んでをるが男子の本意か、或は海なす艱難を迎へ撃って、戦うて根を絶つが大丈夫(ますらお)の志か? 死は・・ねむり・・に過ぎぬ。
 
 今宵は、オフィーリアが好んだ花、デージーとパンジーの俳句を見てみよう。
 
 1・デージーは星の雫に息づける  阿部みどり女 『新歳時記』平井照敏編
 (デージーは ほしのしずくに いきづける) ▪あべ・みどりじょ

 2・踏みて直ぐデージーの花起き上がる  高浜虚子 『ホトトギス 新歳時記』
 (ふみてすぐ デージーのはな おきあがる) ▪たかはま・きょし

 デージーの原産地はヨーロッパ。高さは15センチほどで庭の花壇に植えられる。日本では雛菊、延命菊、長命菊、ときしらずとも呼ばれるように花期が長い。質素で可憐だが、花期が長いというだけではなく、野に咲く強さの感じられる花だ。

 1句目は、白い花のデージー、夜になっても花を閉じることのないデージー、星々の煌きの下でデージーは大きく呼吸をしているようですよ、となろうか。デージーは、純真無垢で美しく花で身を飾る無邪気なオフィーリアそのもののようである。
 2句目は、デージーは雛菊ともいう白い素朴な花で、庭に植えられ、春から秋の頃まで長く咲いている。子どもたちが遊び回って踏んでしまっても直ぐに立ち上がる元気な花なのですよ、となろうか。

 戯曲『ハムレット』は、主人公ハムレットの父王が父の弟(叔父)に殺され、王の地位も母までも叔父に盗られてしまったことが発端となり、復讐心に燃えるハムレットは、叔父と間違ってオフィーリアの父ボローニアを殺してしまった。ハムレットに恋しているオフィーリアだが、父を殺されるという運命の悪戯にオフィーリアの心は引き裂かれ、狂ってしまう。
 そんなオフィーリアは好きなデージーやパンジーを摘んでは、花の冠にしたり衣に付けたり、また、歌いながらプレゼントして回ったりした。最期には花を摘みに行っていた川に身を投げてしまう。
 多くの画家が、花の冠をかぶり、花束を持って川に浮かぶ美しいオフィーリアを描いている。
 
 次は、菫とパンジーの句を見てみよう。
 
 1・手にありし菫の花のいつか失し  松本たかし 『新歳時記』平井照敏変
 (パンジーの きょうなきがおと おもいけり) ▪きだ・せんじょ

 2・パンジーがこちら向くから涙拭く  近藤三和子 『新版・俳句歳時記』雄山閣
 (パンジーが こちらむくから なみだふく) ▪こんどう・みわこ

 3・パンジーの黒き瞳にある嘘すこし  田川信子 『新版・俳句歳時記』雄山閣
 (パンジーの くろきめにある うそすこし) ▪たがわ・のぶこ

 1句目は、菫を摘み摘み野をゆくのは楽しい。だが摘み終えて手をみると、萎れてしまっている。「失し」は「なし」と読むが、花が失せてしまったのではない。摘んでゆくうちに菫の花の可憐さが失せてしまったのであろう。
 2句目は、パッチリした目でこちらを向くから、慌てて涙をぬぐいましたよ、となろうか。
 3句目は、パンジーの黒い瞳と出合ったとき、そこから純な思いとかストレートな愛が伝わってくるのではなく、「嘘」がすこし見えたと言っていいかもしれない、戸惑いの心があるように感じた。
 
 紫、黄、白の3色の蝶の形をしたパンジーは、真ん中の濃い紫が目のように見える。パンジーの花言葉は「私を思ってください」であるという。