第五十三夜 小林一茶の「おらが春」の句

  目出度さもちう位なりおらが春  小林一茶
 
 令和二年の元旦の、「千夜千句」は五十三句目からのスタートだ。
 毎日悩んでいることは、千分の一の今日の句として、この作者のこの一句が一番ふさわしいであろうか、ということ。
 
 小林一茶の句に決めたのは、「ちう位なりおらが春」の措辞がいいなと思ったことと、千分の一にふさわしい独自のスタイルを貫いた俳人であると思うからである。
 
 句意はこういうことであろう。
「わが一茶の新年の目出度さというのは、これくらいであれば、まず上々であろう。」

 鑑賞をしてみよう。
 「おらが春」が「新年」の季題。「春」という字を新年の意義として「初春」「今朝の春」「明の春」「老の春」のように使われる。
 この年の正月は、継母との長い確執があって十五歳で故郷柏原を離れていた一茶が、ようやく帰郷し、菊と結婚をし、子も授かった五十二歳のお正月である。
 「ちう位」は「中位」だが、高く高くと望めばさらに高くを望むもので、満足を得ることは叶わないであろう。江戸住まいの三十年ほどの間に俳諧の宗匠になるほどの出世はできなかった一茶だが、故郷に戻ってからは徐々に弟子が増えてゆくようになった。
 丁度その頃に「ちう位なり」と詠んだこの作品は、一家をなしつつある一茶の心持ちが出ている。
 
 もう一句、紹介しよう。
 
  行く年や空の名残を守谷まで  一茶
 
 茨城県守谷市に住んで十六年目になるが、ネットで検索して桜の名所を調べると、近くに守谷西林寺のしだれ桜があった。早速に行くと、一茶の俳句の立て看板を見つけた。文字は少し薄れていたが書き写してきた。句碑ではなかった。
 田辺聖子の『ひねくれ一茶』を読み返すと、「空の青さに守谷まで」という小見出しがあった。江戸から長野の柏原に帰る途中で立ち寄る一つが西林寺で、住職の鶴老とは歌仙を巻く間柄であったのだ。中七の「空の名残を」を「空の青さに」に変えようかと迷っていたことが書かれていた。年の瀬の冬空がくまなく晴れて、どこまでも青い中を江戸から歩いてきたのであった。
 一茶は「この空の名残があるかぎり、この世のほだしとなって死ねねえなあ」と言いながら、鶴老和尚に句を書いて見せたという。「ほだし」は「足かせ」の意。関東平野の丸い空は広く、とくに冬空の青は深い。作品は「空の名残を」として遺されている。