第五百三十四夜 百万本清の「天の川」の句

 4月29日は、百万本清(ひゃくまんぼん・きよし)こと荒木清の78回目の誕生日。
 俳句出版の仕事に40年近く携わったであろうか。折々に句会を立ち上げてはいたが、こつこつ型ではないので、俳人と言えるのかどうか。
 現在は、大学時代の友人と気儘に会って吟行のような飲み会のような・・、だが数日後には、いそいそと俳句の交換をしている。もう1つ、地元の友人夫婦3組がいつしか楽土句会をスタートするようになって3年目となる。
 
 大学では、哲学科でニーチェを学び、卒論は「ディオニュソス的世界」であった。
 2年前、ごそごそと色紙に筆で書いたものを見せてくれた。大きな銀色の写真立に入れては本箱の上に並べていた。身近なスペースに置かれているので、つい毎日のように目で追ってしまう。書かれた順に、ここに写してみよう思う。
  
  [質感クオリア曼荼羅]
   (クオリア:音・色・香りなど五感でしかとらえられない質感のこと)
  
 死後、わたしたちは自然の質感クオリアの中にいます
 質感は実体をもちません
 気がつかないときは、気づかないだけのことです
 質感は自然の微妙な関係の中に生じます
 ただ、受けとるだけのものです
 いつ、どこに、なにが現れるかは決まっていません
 質感は感動・気配として出現します
 感動しないときは、感動しないだけのことです
 ――その中にわたしは居ます
 
 せせらぎ そよそよ ざわざわ さえずり 
 ぽちゃん しんしん ひたひた ぽとり 
 きらきら おぼろ あかあか くらがり 
 ひえびえ ぽかぽか うららか かをり
 
 私は宇宙と一体です
 地上のすべての質感と同化しています
 ――死後、私は
 夢幻の自由への遊びへと飛翔しています
 
 太古の
 未来の
 宇宙の彼方に居ます  清
 
 今宵は、百万本の「天の川」の句を紹介してみよう。令和2年の8月の地元の句会へ投句した作品である。
 
  蝶一匹ひかれゆく夜の天の川  「楽土句会」 
 (ちょういっぴき ひかれゆくよの 天の川)
 
 自句自解がある。
 「百万本は遥か彼方に天の川を見つけた。天の川を映像で見ると、白く輝く部分と暗く流れる部分(暗黒星雲)が果てしなく続いている。何かが引きづられた痕跡のように。このことがイメージにあったのだろうか、今のところ、この句が私の辞世の句である。」と。
 
 かつて、蝸牛社で『一億人のための辞世の句』のシリーズを企画し、これまでになく版を重ね、朝日新聞では「よく売れている本」という記事が掲載され、多くの書評も載り、俳句界でも話題の本となった。
 この作品は、78歳となった百万本の現在の辞世の句と言っていいのかもしれない。