第五百三十五夜 千代田葛彦の「緑陰」の句

 だいたい、他人の悪口をいうというのは、サーヴィス行為であります。いいながら、自分もすこしは爽快な気分になりますが、いわれる相手がつねに主役であり、いっている自分が脇役であるということをおもえば、「いわれている当人」ほど爽快な気分とはいえません。
 キリストは「右の頬を打たれたら、左の頬もさし出せ」といったそうですが、これは「右手で百円もらったら、右の手もさし出せ」というのと論理的にはおなじであり、かなり物欲しい訓(おし)えであるようにおもわれます。
 だから悪口をいわれたら、悪口をもってこたえねばならない。それが友情であり、義理というものであります。
                     ――家出のすすめ――

 一字に影があるように、一行にも影がある。
                     ――黄金時代――
  
 寺山修司の『両手いっぱいの言葉』413のアフォリズムから、上の2つの言葉を選んでみた。今日は四月尽。日中は25度という夏日となり、影濃き一日となった。
 
 今宵は再び、稲田眸子編著『秀句三五〇選 影』から作品を紹介させて頂こう。

  緑陰にたくはえし影つれていづ  千代田葛彦
 (りょくいんに たくわえしかげ つれていづ) ちよだ・くずひこ

 句意は、日盛りを来て青葉の茂る緑陰にしばらく涼んだのち出てきた作者。緑陰の中でたっぷり蓄えた緑濃き影をつれて出てきましたよ、となろうか。

 編著者の稲田稲田眸子さんは、次のように鑑賞している。
 「この一連の動作を、作者は、緑陰に憩う間蓄えていた影を日盛りの中へ引き出すとみたのである。「影」を生きもののように親しく眺め、詠ったのだ。「たくはえし影」「影連れていづ」とは面白い。」と。
 この影を、私は、緑陰の中で蓄えた緑濃き影である、とみた。【緑陰・夏】
 
 シンプルなリズミカルな表現、機知ある表現から、小説『影を失った男』ならぬ「影を連れてきた男」も案外いそうだと思った。

  生き残りたる人の影春障子  深見けん二 
 (いきのこりたる ひとのかげ はるしょうじ) ふかみ・けんじ

 句意は、連れ添いに先立たれた老いた母、夕餉が済み自室へもどった母は春灯の下で何をしているのだろうか、その母の姿が春障子に透けて見えていますよ、となろうか。

 わが家にも祖母が住んでいた。息子一家と同居し、家族は皆やさしい。それでも夕食後の一家団欒には長居はせずに、しばらくするといつの間にか自室に戻っていた。手仕事したり読書したりテレビを見たりなど、祖母は祖母で好きなことをしていたのだが、息子である父や嫁である母の方は、気にかかるのか、部屋の前を通りかかると障子に映る影を見てほっとしていたことを思い出す。
 「生き残りたる」は、誰人にも訪れる、生きとし生けるものの人生終盤の頃である。【春障子・春】

  麦踏みの影のび来ては崖に落ち  村松紅花
 (むぎふみの かげのびきては がけにおち) むらまつ・こうか

 句意は、後ろに手を組んだ農夫が黙々と麦踏みをしている。影は進む方向に伸びている。やがて谷に面した畑の端に来ると、その伸びた影は谷間の崖に落ちてゆきましたよ、となろうか。

 50年ほど昔、東京近郊でも麦踏みを見ていた。この春、茨城県の常総市あたりまで麦の芽の様子を見に行った。何回か行ったが麦踏みの農夫には出会うことはなかった。麦踏みは、冬の間の霜で土がゆるみ、根が浮いているのを抑え、根を強くするためであるという。その作業は今は、機械でするのだろう。
 だが、崖に落ちたのが伸びた影だけでよかった。【麦踏み・春】