第五百三十七夜 高浜虚子の「八十八夜」の句

 「八十八夜」は、立春から数えて88日目をいい、2021年の今年は5月1日であるが、2日の場合が多いという。この頃まで晩霜の被害を受けることがあり、「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の泣き霜」のように遅霜が発生したり強風が吹いたり、農業や漁業にとって注意すべき時期だが、この日以後は降らなくなるという。
 
 今宵は、「八十八夜」を中心に行われる「茶摘」と「利茶」の作品を紹介してみよう。

 1・青空へふくれあがりて茶山なる  富安風生 『新歳時記』平井照敏編
 (あおぞらへ ふくれあがりて ちゃやまなる) とみやす・ふうせい

 2・つくつくと茶を摘む音のしてゐたり  山口青邨 『新歳時記』平井照敏編
 (つくつくと ちゃをつむおとの していたり) やまぐち・せいそん

 3・向きあうて茶を摘む音をたつるのみ  皆吉爽雨 『合本 俳句歳時記』角川書店
 (むきおうて ちゃをつむおとを たつるのみ) みなよし・そうう

 次の3句は、茶摘みの光景である。茶の芽を摘みはじめるのは4月上旬からのこと。下旬頃に摘んだものが一番茶で最も良質である。中でも、八十八夜に摘んだものは不老長寿の妙薬として尊重される。

 1句目、茶山とは、茶の木が植えられている山のこと。お茶の産地は、北限があり、埼玉の狭山茶、静岡茶、三重の伊勢茶、京都の宇治茶、福岡の八女茶、鹿児島茶など比較的温暖な気候の地である。摘みやすいように茶畑は、列状のうね仕立てにしてあることが多い。日が当たるように急傾斜地に仕立てられていることも多い。
 富安風生の作品の畝は、斜面に仕立てられているのだろう。遠くから見ると、茶畑はふくれあがった茶山のようであった。
 
 2句目と3句目は、茶摘みの作品。
 2の山口青邨の句は、「つくつく、つくつく」という機械的なスピードでハサミを動かす音によって、茶摘みの姿を描写している。一枚一枚葉を剪ってゆく作業は重労働。機械化も進んでいるそうだが、人間の目で葉を見極め、なおかつスピードが必要であるという。
 3の皆吉爽雨の句も、ひたすらな茶摘み作業の光景である。何故なのか。たとえば日本人が移住したブラジルのプランテーションでは、葉の摘み方が均一であることが重要であり、摘み取った目方によって当日の賃金が決まるという。日本でも出来高払いなのだろうか。畝の両側に向き合っての作業で、茶摘女という言葉があるように女性が多いとすればお喋りもしたいであろうに、聞こえてくるのは茶を摘む音のみであるという。
 
 次の句は、「利茶(ききちゃ)」の作品

  絵襖の古き牡丹に利茶かな  高浜虚子 『ホトトギス 新歳時記』
 (えぶすまの ふるきぼたんに ききちゃかな) たかはま・きょし

 句意は、牡丹の描かれている絵襖に囲まれた一室で、今年とれた新茶の香りを試飲させていただいているのですよ、となろうか。
 
 利茶というのは、江戸時代には、はしりの茶を大名や貴人、茶人に見本として贈り、それを試飲する会を「茶の試み」という。虚子は、5月の初め、牡丹の描かれた華やかな絵襖に囲まれて、八十八夜の新茶を試飲する会に参加しているのであろう。
 
 「利休はわが家の朝の茶の湯へお招きをした。その日になって太閤は庭じゅうを歩いてごらんになったが、どこを見ても朝顔のあとかたも見えなかった。地面は平らかにして美しい小石や砂がまいてあった。その暴君はむっとした様子で茶室へはいった。しかしそこにはみごとなものが待っていて彼のきげんは全くなおって来た。床の間には宋細工の珍しい青銅の器に、全庭園の女王である一輪の朝顔があった。」   岡倉覚三『茶の本』村岡博訳 ワイド版

 まだ朝顔の花が珍しい頃、利休が丹精込めて培養した庭が見事だと聞いた太閤秀吉が、見たいと仰せになったときのことである。茶の世界とは、このように簡素の極みという贅沢な世界なのであろうか。