第五百三十八夜 平井照敏の「青田」の句

 5月3日は憲法記念日、国民の祝日である。国民の祝日に関する法律では「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」ことを趣旨としている。1947年5月3日に日本国憲法が施行したのを記念して1948年に公布・施行の祝日法によって制定された。ゴールデンウィークを構成する日の1つ。
 
 ゴールデンウィークの頃、利根川沿いの田んぼは、水が張られた「代田」になっている。東京から茨城県へ移転し、その後も東京に通っていたとき、常磐道を柏インターで下りて利根川沿いの農道をゆくのが近道であった。東京に50年以上住んでいたので、米作りの一部始終を毎日のように眺めるのは初めてであった。俳人として、季題を1つ覚えることができると思うと楽しかった。
 3月はれんげが咲いていた。4月には土を掘り返していた。利根川沿いでは、4月末には、水が張られ、耕運機が土を掘り返していた。次に通りかかると、もうまっ平らな「代田」。太陽が一面に照り返して明るいこと! 夜は蛙の大合唱で賑やかどころではなくて、それはそれは煩いこと!
 5月のゴールデンウィークの頃には、早苗が風に吹かれて溺れそうなほどだ。私が1番好きな光景である。最初に見かけた日、農業用の側道に車を停めてしばらく眺めていた。
 
 今宵は、初夏の季題「代掻く」「代田」「植田」「青田」の作品を見てみよう。

 1・代馬の泥の鞭あと一二本  高野素十 『新歳時記』平井照敏編
 (しろうまの どろのむちあと いちにほん) たかの・すじゅう

 2・代田傾けて着陸態勢に  稲畑汀子 『ホトトギス 新歳時記』
 (しろたかたむけて ちゃくりくたいせいに) いなはた・ていこ

 先ずは「代掻く」「代田」の作品。
 1句目、代掻きをする牛や馬を「代牛」「代馬」といい、1920年頃にアメリカ製の耕運機が日本にも入ってきた。本格的に耕運機になったのは戦後であるが、高価な機械であったそうだ。牛馬にとっても泥田の中での作業はきついようで、疲れればテコでも動かない。鞭打って動かしたという。
 2句目、飛行機が着陸態勢に入ると、機体は傾く。窓からの眺めは全て斜めになっている。「ホトトギス」主宰の稲畑汀子さんは、俳句の指導や講演で日本中を飛び回っている。この作品は、傾ぐのが水を並々と張った「代田」であることから、ふっと、水が零れたらどうしよう、と錯覚させるところが愉快である。

 3・笠二つうなづき合ひて早苗とる  高浜虚子 『ホトトギス新歳時記』
 (かさふたつ うなづきあいて さなえとる)
 
 4・老人は綱張る仕事田を植うる  山口青邨 『庭にて』  
 (ろうじんは つなはるしごと たをううる) やまぐち・せいそん

 5・田を植ゑるしづかな音へ出でにけり  中村草田男 『長子』
 (たをうえて しづかなおとへ いでにけり) なかむら・くさたお

 6・青田にはあをき闇夜のありぬべし  平井照敏 『新歳時記』平井照敏編
 (あおたには あおきやみよの ありぬべし) ひらい・しょうびん

 次は「早苗」「田植」「青田」の作品。
 3句目、田へ植えかえるにふさわしくなった稲の苗を束にして、箱に入れて田へ運び、畦から田んぼで植え手に投げて渡す。「いくぞ」「おう」とも言わず合図は笠二つ。田植までこぎつけた喜びが無口の中に溢れている。
 4句目、小さな早苗をまっすぐに植えてゆくために細い綱を張り、その脇へ植えてゆく。その大事な仕事が農家の老人の役割なのですよ、という句。
 5句目、草田男の第1句集『長子』収中の作。昭和4年に「東大俳句会」「ホトトギス」で虚子に師事し、「客観写生」「花鳥諷詠」を互いに練磨した。この時代は田植機などはなく、早乙女たちが並んで静かに田植えをしている。「しづかな音」とは、早乙女の時折立てる静かな水音。こうした田植の景色に出合ったことが「しづかな音へ出でにけり」という詠嘆となった。
 6句目は「青田」。1番草も2番草も取り、田は稲の葉であおあおとしてくる。強い日差しの中での爽快な眺めである。平井照敏の作品では、もはや、収穫の予想もつき秋を待つだけという青田の揺るぎなさを、「あをき闇夜」の濃紺で表している。