第五百三十九夜 あらきみほの「金亀子(こがねむし)」の句

 今日、5月4日はガラス工芸家エミール・ガレの誕生日。1846年生まれのガレは、1945年生まれの私とは約1世紀昔にフランスで生まれた。
 もう30年ほど前、中学時代からの友人小林孝子さんは、会う度にエミール・ガレの話を聞かせてくれた。その後、諏訪湖畔の北澤美術館を訪れたが、収蔵品は青山学院高等部の北澤佑子さんのお父上のコレクションであることがわかった。その後、久々に連絡をすると、美術展が開かれる度にチケットを頂いてしまい、私は友人や俳句の仲間たちをご案内した。
 
 私の初めての句集は『ガレの壺』で、当時夢中になっていたガレに拠る。次の文は「あとがき」の1部である。
 「諏訪湖畔の北澤美術館でエミール・ガレやドーム兄弟のアール・ヌーヴォーのガラス器たちに出逢った。様々の技法により何層にも重ねられた分厚いガラスの不思議な色合いの中に、雛罌粟、薊、クロッカス、弟切草、羊歯や森や林、あるいは蜉蝣、蜻蛉、天道虫、蜘蛛、蝶などの虫や鳥などの紋様が、作品ごとにやわらかな照明を受けて蘇り、幻想的に息づいている。
 俳句を始めてから馴染みとなった野草や小動物たちばかりである。日本美術の影響を受けたといわれるエミール・ガレの作品たちにたちまち魅せられ郷愁を感じたのはごく自然だったのだろう。」
 
 今宵は、あらきみほのガレの作品と紋様となったガラス器の俳句を紹介してみよう。
 
  飛んできてガレの洋燈の金亀子  『ガレの壺』
 (とんできて ガレのらんぷの こがねむし)  【金亀子・夏】

 展示場でのガレの作品は、ある会場では後ろから、ある会場では、下から光線を当てていた。ガレの器たちは光があって初めてガラス特有の美となる。エミール・ガレの生きた時代で、最もセンセーショナルな出来事は、電気の発明であったという。ガレの作品は、光の透け具合による微妙な色彩が重要な表現効果であるから、ガレたちは工夫を重ねたのであった。
 どんなガレの器も、光が透っていないときは唯の暗いガラスの塊。そこに仄かな人工電気の光が透けてくることで、例えば、この作品では金亀子(コガネムシ)が、光という明るさを目指して飛んで来たことがわかる。

  ガレの壺の中にあるごと黄落す  『ガレの壺』
 (ガレのつぼの なかにあるごと こうらくす)  【黄落・秋】

 これは、北澤美術館へ何度か諏訪湖畔へ通った途中の景である。往路が中央道の場合には復路は軽井沢から信濃路をぬけてドライブを楽しんだ。ここは浅間山付近だったと思う。黄葉がとても美しくて、まるで私たちがすっぽりとガレの壺の中に入ってしまったようであった。私自身がガレの壺の中にいて、黄落の光を浴びて、存在しつづけているという持続を「ある」という動詞で表した。

  たむろせるガレの鴉や冬の霧  俳誌「花鳥来」
 (たむろせる ガレのからすや ふゆのきり)  【冬霧・冬】

 ガレの作品に、雪景色だろうか濃霧だろうか、白の暗さの中で何羽かの鴉たちが枝々に止まっている紋様がある。利根川の近くに住んでいたある朝、濃霧が出た。どうしても土手に行って川霧を見たかったので、大型犬をボディガードに出かけると、幸運なことに土手の木の枝に2羽の鴉が止まっていた。

  蝶飛んできてガレの草ガレの花  俳誌「花鳥来」
 (ちょうとんできて ガレのくさ ガレのはな)  【蝶・春】

 目黒にある旧朝香宮邸で開催された「ガレの庭」展の案内状を、この時も、北澤佑子さんからお送り頂いた。目黒は花の名所の目黒川があるので駅は混んでいた。会場の旧朝香宮邸は目黒川とは反対方向であった。
 当日〈百年の昔に入りぬ花の門〉と詠んだように、明治時代の華族のお邸は、門が高く、門内に入ると新緑の中の桜大樹が美しかった。

 これまでの展示と違っていたのは、旧朝香宮邸という生活の場であったことである。食堂があり、応接間があり、書斎があり、それぞれの部屋に相応しい飾り方がされていた。小部屋にはたった1つの展示。出窓にも1つ、書斎の机にも1つだった。
 句意はこうである。テーブルに並べられたガレの器には罌粟の花や野草が彫ってある。春の陽気に誘われて蝶が今にも飛んできそう、また逆に、彫られた蜻蛉や蜥蜴たちもガレの器からごそごそ出ていきそうでもあった。
 贅沢な室内の、窓を洩れくる程よい光の明るさの中での、素晴らしい「ガレの庭」展であった。