第五百四十二夜 京極杞陽の「杜若(かきつばた)」の句」

 四季の里公園の入口付近から公園を埋めるように咲いていた桜と八重桜に通いつめた後、坂道を下りた池の周りには杜若(カキツバタ)が咲きはじめている。もうしばらくすると、菖蒲園が花をつけるだろう。
 今、園内は新緑の鮮やかさと杜若の濃い紫である。
 毎年、カキツバタ、ハナショウブ、アヤメの違いを書こうとすると未だに戸惑う。遠くに行けなくなったコロナ禍の間に、こうして近くの公園に通うようになっているが、重ねて見ることの大切さに少し気づいたかもしれない。まずは、杜若(カキツバタ)に夢中になってみよう。「燕子花」とも書く。
 
 今宵は、「杜若」の作品を見てみよう。

 1・業平はいかなる人ぞ杜若  京極杞陽 『ホトトギス 新歳時記』
 (なりひらは いかなるひとぞ かきつばた) きょうごく・きよう

 2・杜若絵巻のごとく咲き揃ひ  京極昭子 『ホトトギス 新歳時記』
 (かきつばた えまきのごとく さきそろい) きょうごく・あきこ

 3・かきつばた池鯉鮒を男とほりけり  加藤耕子 『現代俳句歳時記』成星出版
 (かきつばた ちりゅうをおとこ とおりけり) かとう・こうこ

 この3句は、花の「杜若」から『伊勢物語』の主人公である在原業平を思い出させる。

 1句目、杜若よ、業平というお人はどういうお方なのか教えておくれ、という句意となろうか。
 高校時代に古文の授業を真面目に聞いていれば、知っていると思われるが、平安時代の作者不詳の恋物語『伊勢物語』に登場するプレイボーイの主人公は、実在した歌人在原業平がモデルではないかと言われている。
 東国への旅の途中の三河国八橋では、業平は、名高い「杜若」の花で1首詠んだ。
 「唐衣 着つつなれにし 妻あれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」と、「かきつはた」(昔は静音)の5文字が読み込まれている。

 2句目、杜若の花が水辺に沿って植えられて咲き揃っている様子は、まさに一幅の絵巻物のようでしたよ、という句意になろうか。
 杜若から『伊勢物語』を思い、華やかな恋物語であることを思ったとき、「絵巻のごとく咲き揃ひ」という措辞を得たのであろう。絵巻とも絵巻物とも言われ、最古のものは「源氏物語絵巻」である。
 京極昭子は、子爵の家の長男として生まれた豊岡藩主十四代当主京極杞陽夫人でありホトトギスの同人。

 3句目は、かきつばたが咲いている。この池鯉鮒の地を、あの在原業平が東国へ下る途中に立ち寄ったのですよ、という句意になろうか。
 「池鯉鮒(ちりゅう)」は、「池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく、ちりゅうじゅく)」のことで、東海道五十三次の39番目の宿場である。歴史的仮名遣いでは「ちりふ」。現在の愛知県知立市に位置する。また、「池鯉鮒(ちりゅう)」と「八橋」は1キロほどの地である。この「池鯉鮒」も「八橋」もともに『伊勢(いせ)物語』の故事にちなむ「八橋伝説地」(県指定名勝)がある。
 加藤耕子さんは、俳誌『耕』、英文誌『Ko』創刊主宰。 俳句協会評議員、国際俳句交流協会理事。

 尾形光琳筆の「燕子花図屏風」は根津美術館の所蔵品なので、毎年、燕子花の開花に合わせて4月下旬頃に展示される。総金地の六曲一双屏風に、濃淡の群青と緑青によって鮮烈に描きだされた燕子花である。それほど広くはない美術館に展示されたこの屏風は圧巻であった。青山学院大学在学中には毎年のように観た。大学の裏口からは直ぐ目の前であった。