第五百四十三夜 鈴木六林男の「燕子花(かきつばた)」の句

 「燕子花」と「あやめ」と「花菖蒲」は、花の形は似てはいるが幾つかの相違点がある。その見分け方を知っていると、見る度に3つの名が浮かび、「どれだっけ?」と、毎回のように悩んだりせずに済むかもしれない。
 今回、夫が摘んでくる濃い紫の花は「燕子花」と思っていたが、畑に植えていたので「あやめ」であることが判った。花は似ているが網目模様があるし、生えている場所は乾燥した畑地であった。
 畑仲間から株分けをしてもらったものだが、夫も、私も「きれいね!」とガラス瓶を選んで活けていたのに・・ぼーっとしていた。
 今日は、しっかり花びらの「文目(あやめ)」模様も確認した。
 燕子花、あやめ、花菖蒲の違いをまとめてみる。
 
 ① 花びらの根元の模様
  燕子花(かきつばた):白い模様がある
  あやめ:「文目」の由来の網目模様がある
  花菖蒲:細長い黄色の模様がある
  
 ② 葉脈
  燕子花(かきつばた):葉脈が目立たず、葉の幅が広い
  あやめ:葉脈は目立たず、細長い
  花菖蒲:葉は面に1本、裏に2本の葉脈がある
  
 ③ 生えている場所
  燕子花(かきつばた):湿地に群生
  あやめ:畑や草原など乾燥した場所に群生
  花菖蒲:乾燥地や湿地に群生・花色は紫ほか、ピンクや白、ブルーもある
  
 ④ 開花時期
  燕子花(かきつばた):5月中旬に花が咲く
  あやめ:5月上旬に花が咲く
  花菖蒲:5月中旬〜6月下旬に花が咲く

 今宵は、「燕子花」と「あやめ」と「花菖蒲」の作品を見てみよう。

■「燕子花(かきつばた)」

  天上も淋しからんに燕子花  鈴木六林男 『現代俳句歳時記』角川春樹編  
 (てんじょうも さみしからんに かきつばた) すずき・むりお

 この句に出合って忽ち惹かれた作品である。花の色や花の形からも、「天上も淋しからんに」の措辞がひしと伝わってくる。それでも、鑑賞をしてみようとすると、淋しさの根っこを捉えることが出来なかった。
 『現代俳句』の著者の川名大氏が詳しく書いているが、芒六林男は戦前の新興俳句運動に参加し、第二次世界大戦では激戦地で戦ってきた。自身も怪我をし多くの仲間を失った。その戦争体験を風化させず、戦後は「天狼」から主宰誌「花曜」において意志的な作品を発表してきたという。
 私は、「かきつばた」を「杜若」とせず、飛燕を感じさせる「燕子花」の文字を用いたことも効果的であると思った。
 句意は、戦死した友は天上にいる。さぞ淋しかろう。だが地上にも傷ついた仲間が大勢いて淋しい思いをしているのですよ、天上へ飛んでゆくこともなく咲いている燕子花のように、となるであろうか。

■あやめ

  旅人に雨の黄あやめ毛越寺  高野素十 『蝸牛 新季寄せ』
 (たびびとに あめのきあやめ もうつうじ) たかの・すじゅう

 岩手県の平泉の中尊寺には、薪能を3回、中尊寺ハスの初開花に立ち会わせていただいた時の4回、訪れている。昭和25年、金色堂内の藤原三代の棺を調査した際の1人であった植物学者大賀一郎が、泰衡の首桶から出た蓮の種子を5粒を持ち帰り、さらに何十年もかかって門下生が培養に成功して蘇った中尊寺ハスである。
 毛越寺は中尊寺からの帰り道に立ち寄った。奥州で藤原三代の建てた寺院で、広々とした庭園と池が印象的で、私たちも、池の辺りの黄あやめ紫あやめを眺めた。
 高野素十は、烟ったような小雨降るなかの黄あやめはさぞかし印象深かかったであろうと思われる。

■花菖蒲

  白波のごとくはるかに白菖蒲  山口青邨 『薔薇窓』  
 (しらなみの ごとくはるかに しろしょうぶ) やまぐち・せいそん

 花菖蒲は、カキツバタやアヤメと違って花の色が多彩である。紫、紫の濃淡、黄色、ピンク、白などで、複雑に混ざった色もある。大学時代、明治神宮の神宮御苑の花菖蒲園には、開花の頃になると誘い合って授業をさぼって観に行っていた。
 6月の新緑の中に咲く花菖蒲はうつくしく、大きな柔らかな花びらが風に揺れている花菖蒲にはやさしさがある。白菖蒲に魅了される人は多いのだろう。様々な色の花菖蒲の中でとくに白菖蒲のスペースを広くとってある。
 山口青邨は、風に揺れている白菖蒲を「白波のごとく」と、夏の海の如く詠んでいる。