第五百四十五夜 加古宗也の「愛鳥日」の句

 愛鳥週間とは、5月10日から16日までで、その最初の日を「バード・デイ」という。
 翡翠(かわせみ)で思い出すのは、50年以上練馬区の石神井公園の近くに住んでいたことから、石神井公園の西側に隣接する三宝寺池の入口付近の湿地である。小さく囲ってあり、いつも人だかりがしている。囲いの中には1本の杭があり、翡翠のために小さな台がある。人だかりはここへ飛んでくる翡翠を待ち、いつでもカメラのシャッターが切れるように三脚にセットしてある。
 台に止まっている翡翠を見たことはあるが、魚を捕える瞬間に出合ったことはない。
 
 奥の小高い丘は雑木林で、手作りの巣箱が掛けられていた。鳥の声も聞こえる。鶯や目白や鴉や雀たち。三宝寺池や石神井池には鴨、鳰、鷭など水鳥たちがいて賑やかである。
 
 今宵は、愛鳥週間の第1日目。「愛鳥週間」と夏の鳥たちの句を見てみよう。
 
■愛鳥週間

 1・庭雀日すがら去らず愛鳥日  加古宗也 『蝸牛 新季寄せ』
 (にわすずめ ひすがらさらず あいちょうび) かこ・そうや

 2・小鳥週間(バードウィーク)女同士のよく喋り  水原秋桜子 『現代俳句歳時記』角川春樹編  
 (バードウィーク おんなどうしの よくしゃべり) みずはら・しゅうおうし

 1句目、庭の雀が一日中鳴いている。今日が愛鳥日(バード・デイ)だと雀が知っているわけでもないだろうが、一向に鳴き止まず庭を立ち去ろうともしないのですよ、という句意になろうか。

 2句目、雀たちの朝からピーチクピーチクと鳴きつづけている声と、女性がお喋りを始めると雀たちのピーチクパーチクと囀る声がじつによく似ている。そんな風に、われら女性は男性から思われているのだ。
 水原秋桜子の作品で、このように諷刺の効いた句は初めてのようで新鮮味があった。
 
■「青葉木菟」「翡翠」

 3・夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟  橋本多佳子 『新歳時記』平井照敏編
 (つまこえば われにしねよと あおばずく) はしもと・たかこ

 4・翡翠の飛ばぬゆゑ吾もあゆまざる  竹下しづの女 『新歳時記』平井照敏編
 (かわせみの とばぬゆえあも あゆまざる) たけした・しづのじょ

 3句目、38歳のときに橋本多佳子は夫を亡くしている。夫を恋しく思っていると、遠くに聞こえてくるのはホウホウという二声の鳴き声を立てている青葉木菟である。夜に鳴く声の寂しい暗い感じが独特で印象的である。 中七の「吾に死ねよ」は、「青葉木菟」の声となって「私を恋しいと思うのであれば、多佳子よ、君も死になさい」と、妻の多佳子に呼びかけた亡き夫の声ではなかったか。青葉木菟の声には、あの世からの声を思わせる暗さがある。季題の力の大きな作品のように思った。
 多佳子には〈雪はげし抱かれて息のつまりしこと〉など、夫亡きあとの孤閨の淋しさを詠んだ作品がある。

 4句目、私が石神井公園の三宝寺池で出合った翡翠も、周りに観客がいるのに悠然として動かなかった。というより、獲物を捕えるときの何秒ほどの素早さな動きをみせるから、きっと、じっと獲物と間合いを計っていたのかもしれない。
 その翡翠の姿を見ていた竹下しづの女は、「翡翠が飛ばないのだったら私だって立ち去るわけにはいかない、ここまで待ったからにはチャンスを逃すことはできない」と、根競べをしているようだ。

 春以降、わが家の庭の大きな黄楊の木から、日の出とともに雀たちが賑やかに囀っている。繁殖期だからであろうかと、思ったが、今も毎朝聞こえてくる。