第五百四十六夜 山口青邨の「三等品の苺」の句

 山口青邨に次の句がある。

  わが畑は三等品の苺熟れ  山口青邨 『繚亂』
 (わがはたは さんとうひんの いちごうれ) やまぐち・せいそん

 この作品に楽しくなった。わが家の畑でできる苺とおんなじだ。夫は、畑からある日はポケットに3粒、ある日は小さなビニール袋に半分ほど、しかしどの苺もお店に並んでいるものとは大違いである。
 苺の俳句を探していたとき、『山口青邨季題別全句集』の「苺」にこの作品があり、私は中七の「三等品の」に釘付けになった。
 
 三等品というと、どうしようもなく出来が悪いと思われるかもしれない。甘さが足りない、形が悪い、型が小さい、と悪口が気の毒なほど浮かんでくる。だが、「どこが悪い! 食えるぞ! 砂糖やミルクを入れれば美味しいぞ!」と、夫は言う。
 畑作りは、今よりずっと仕事で忙しくしていた頃で、守谷に移転してきたときに、近所の方が「存分に畑に使ってください」と、言われたことが始まりだ。どの野菜たちもそれぞれに細やかな手入れが必要で、1つずつ上手に出来るようになってきたが、苺は1番手がかかったようだ。妻の私は腰痛持ちで2年前には骨折をしている。家まで収穫物を持ち帰ったあとは料理担当をしているが、畑仕事は一切しない約束で通している。
 
 私は、青邨の「三等品の苺」の句に合点した。青邨が「雑草園」と名付けた庭は、半分は庭木や草花、半分は戦時中に食用にした畑だという。製作年は、終戦から25年経った昭和45年で青邨は78歳であった。手がかかり難しい苺づくりは、忙しさの中で一等品にはできなかったのだ。
 青邨一家も、工夫して食べたに違いない。
 
 山口青邨の、科学者としての正確な眼によって写し出された「三等品の苺」は、なんだか愛おしくなる純な心から出た言葉であると思った。美しいばかりでは本当のことが伝わらない詩があると思った。
 
 今日は、「苺」の作品を見てゆこう。
 
  いちご熟す去年の此頃病みたりし  正岡子規 『新歳時記』平井照敏編
 (いちごじゅくす こぞのこのころ やみたりし) まさおか・しき

 句意は、今年も苺が熟して食べごろになった。去年の丁度今頃、私は二度目の喀血をして須磨保養院に入院していたなあ、ということだろう。

 明治28年、日本新聞社にいた正岡子規は日清戦争の従軍記者として大陸へ渡ったが、講和が成立したため、一ヶ月ほどで帰途の途についた船上でサメの大群を見て大喀血を起こし、神戸病院に入院、次いで須磨保養院に入院した。虚子が何十日間も看病した。看病の合間に、苺摘みに行ったりしたという。
 子規は、食べることが好きだが、中でも、苺は贅沢品であり大好物であった。