第五百四十九夜 高浜虚子の「籐椅子」の句 『五百五十句』

 ブログ「千夜千句」も五百五十回に近づいた。高浜虚子の5句集のタイトルは、『五百句』『五百五十句』『六百句』『六百五十句』『七百五十句』である。このブログが五百回になった時、五百五十回になったら、虚子の句集名にあやかって頑張るよすがにしたいと思った。折々に虚子の作品はこれまでにも登場させてきたが、深見けん二先生の弟子であることは高浜虚子の孫弟子でもあるので、大事な作品は書いておきたいと思っている。
 『五百五十句』の昭和11年のヨーロッパへ旅行のことはすでに書いているので、帰国後の7月の作品から続けてみることにしよう。
 ヨーロッパ旅行から戻った虚子は、昭和11年7月17日、当時逓信次官であった富安風生邸に招かれた。
 
 今宵は、高浜虚子の「籐椅子」「夏木」の2句を合わせて紹介しよう。  
 
 1・籐椅子にあれば草木花鳥来
 (とういすに あればそうもく かちょうらい)
 
 1句目、虚子は、6月15日に120日に及んだヨーロッパ旅行から帰国したばかりである。しかも、旅の80日間は箱根丸の船中であった。
 旅で疲れた身体を籐椅子に身を預けながら、虚子は、目に飛びこんでくる日本の自然現象の1つ1つに、つくづく、草木花鳥の美しさを感じていた。邸内は草木が茂り、花が咲き、鳥たちがやって来て鳴きはじめ、それは美しく賑やかであった。【籐椅子・夏】
 
 虚子が「花鳥諷詠」を提唱したのは、昭和2年のことである。

 寄港した、東南アジア、中近東、アフリカの地は、さまざまに異なる気候と自然であった。ヨーロッパの春は美しかったが、現地の俳人たちは、日本人のように美しい自然現象を細やかに楽しんで俳句を作る風でもなかった。
 一方東南アジアでは、熱帯性の気候のために、現地に住む日本の俳人は、季題の使い方、俳句の作り難さに悩んでいた。行く先々にいる「ホトトギス」の弟子たちと句会をした虚子は、日本の気候と関係なく、現在住んでいる地に適った季題で詠むことを指導した。

 パリ、ベルリン、ロンドンでは、虚子は講演をし、句会をした。その先々で、虚子が一番に強く説いたのは、季の問題=自然の大切さであった。
 虚子一行は5月6日、ロンドンを発ちドーバー海峡を越えて、フランスのヂユリアン・ヴオカンス邸を訪問した。日本好きなヴオカンスが集めた日本の品々が、フランス人好みに飾られていた。
 フランスに日本の俳句を紹介したのはクーシューという人である。日本留学中に興味をもって学んだ俳句を、帰国したクーシューは、「俳句は十七シラブルの詩である」と、フランスの詩壇で紹介したが、その時、クーシューは「季」の問題は伝えて居なかったという。
 「十七シラブルの詩」のことを聞いたのが、ヴォカンスであり、フランスで初めて「はいかい」という三行詩を作った。
 ヴォカンスたちがこれまで作っていたのは、ロマンチックで冗長な詩である。その従来の詩に、十七シラブルという短い形と、俳諧の集中性をとり込んだのだ。

 日本では花鳥諷詠詩に反対する声のもっとも姦しい時期ではあったが、120間のヨーロッパ旅行中に、虚子はその花鳥諷詠詩を異国に種蒔をしてきたのだ。虚子も、気候の異なる旅行中では日本の歳時記にない言葉を見つけ、季題として句を詠んでいた。「スコール」「椰子」「紅海」などを熱帯季題として、後に『新歳時記』改版時に入れた。

 筆者の師・深見けん二の主宰誌名「花鳥来」は、この作品から頂いたものという。

 2・我が前に夏木夏草動き来る
 (わがまえに なつきなつくさ うごきくる)
 
 2句目、わたしの眼前に、夏の樹々も、夏草たちも、向こうから動いてやって来るのですよ、なろうか。
 前の1句目と掲句は対になっているように思う。自然というものは、こちらが親しみを込めて眺めていると、禽獣草木の命あるものは悉く、相手の方から近づいてくる。2句ともに、こうした鑑賞として読んでよいであろう。【夏木・夏】

 この2句は「玉藻」昭和27年1月号、岩波文庫『俳句への道』の中の、虚子の「客観写生(客観写生ー主観ー客観描写)」の俳話を思い出させてくれる。この俳話は、「客観写生」の進む順序を三段階に分けて説明している。
 「花や鳥」というのは、「季題」の代表であり、さらに、そこに存在する人間を含めて、日本人が古くから詩歌で詠んだ「自然」のことである。