第五十五夜 梅田美智の「明の春」の句

  駅伝のたすきをつなぐ明の春  梅田美智

 sash to runner,,,
  sash to runner,,,
   sash to runner,,,
    new year road race

 梅田美智さんは、青山学院大学英米文学科でESSに所属していた、私の大先輩である。30年ほど前であったか、ESS・OB会会報誌の打合せの席で初めて出会い、「甘藍」同人の俳人であることをお聞きした。記憶は曖昧だが、美智さんは、俳句と一緒に英語の「haiku」も投句されるようになっていた。会報誌の俳句欄の、互いの句の感想をメールで交換するようになっていた。
 そして箱根駅伝に青山学院が登場して初の総合優勝を遂げた五年前からは、お正月の挨拶が「箱根駅伝・・おめでとう!」に変わった。掲句を見たのは、優勝二年目の作品だったと思う。

 鑑賞してみよう。

 駅伝の命は「たすきをつなぐ」ことである。一人のランナーが20キロ近く走り終えて、次のランナーへ手渡すのが「sash to runner」(ランナーへのたすき)だ。テレビ中継でも、箱根駅伝の舞台に立つまでのランナーたちの苦闘や苦悩のエピソードを伝えてくれるが、誰もがすんなりと駆け上がってきた舞台ではなかった。さまざまな思いを抱えて走り続けているのだ。たすきを受け取る次のランナーも、仲間の走者からたすきを手渡されて走ることは嬉しいに決まっている。だから前のランナーの思いも抱えながら一生懸命に走る・・それが「つなぐ」ことであろう。
 一句中に同じフレーズを三回繰返すことで、走るという単純なひたすらな動作となり、10人のランナーがつなぐ「駅伝」の姿になった。
 俳句も「haiku」も「箱根駅伝」という言葉は用いてはいないが、「たすきをつなぐ」としたことで、箱根駅伝の本意を掴んだ作品となったのではないだろうか。
 
 箱根駅伝の正式名は「東京箱根間往復大学駅伝競走」。当時読売新聞社会部長の土岐善麿(後の歌人)の発案によって始まったもので、今年は「箱根駅伝」が生まれて100年目である。
 往路は、東京大手町の読売新聞社前をスタートしてフィニッシュは「箱根町箱根」。復路はその逆となる。二日間をかけ、往路優勝と復路優勝があり、往路復路を制すると「総合優勝」である。青山学院大学は、四連覇のあと昨年は逃したが、本年、五回目であり令和初の総合優勝を成し遂げた。