湖は光の粒とかいつぶり 小枝恵美子
鑑賞をしてみよう。
晴れた日の湖は、風の漣に、そして潜ったり出たりするときの鳰の水脈に、日差しが当たってキラキラ輝いている。それが「光の粒」である。鳰は「かいつむり」「かいつぶり」とも呼ぶが、恵美子さんは「光の粒」「かいつぶり」の「つぶ」、「光」「かいつぶり」の「り」と、一句に同じ音を反復させて、心地よい調べを作った。かいつぶりは眺めていて飽きない。潜ったかいつぶりは、どこに浮かんでくるか予測がつかないからだ。母と子の「絶対にあそこよ」「きっとここよ」などと言い合っている声が聞こえてきそうな、冬日のあふれた真昼の湖の景が見えてくる。
蝸牛社から七冊刊行した「七つの帆・句集コレクション」の一冊目が、坪内稔典代表の「船団」新進気鋭の若き小枝恵美子さんの『ポケット』である。もう少し紹介する。
女子大へこっそり通う蟻のA君
ポケットの紋白蝶を配る午後
一句目、蟻をたとえば「アッシー君」のように「蟻(アリ)」を比喩的に鑑賞するのでなく、昆虫の蟻と鑑賞しても面白い作品であると思った。
校門の中へ、颯爽とした女子大生も、そうでない人も、つぎつぎに吸い込まれてゆく。ふと地面を見ると蟻がいる。その蟻も女子大生と同じ方向に歩いている。そう言えば、昨日も蟻を見かけたようだ。昨日の蟻と同じかどうかは分からないのだが、毎日見かける蟻を「蟻のA君」と名付けたところが作者の技である。
たちまちA君という人格を持った一匹の蟻となるが、毎日校内をうろうろしている小さな蟻は、「こっそり通っている」としか見られないのである。小さな存在の蟻と女子大生との対比。女子大生というのは、自信に溢れていて、自信が無くて、美しくて、未熟で、気まぐれで、時々怖そうで、時々優しくて、といった不可解な存在である。この作品はガリバーの世界を思わせる。
二句目、凄い感性の詩人である。紋白蝶という「春」をポケットに入れて歩いている作者。この素晴らしい春をみんなと分かち合いたくて、「紋白蝶」を配って歩いている作者。こんな午後ってありそうな気がしてくる。
だが恵美子さんの句が、全てがシュールかというとそうではない。作者の実景把握が正確であるから、読者の心にも景がすうっと入り込むのであろう。作者とともに飛躍した世界へ翔んでいける作品である。