第五百五十四夜 白石渕路さんの「はななづな」の句

 白石渕路さんが「花鳥来」に入会されたのは平成14年、30歳直前であったという。10年ほどして、渕路さんは葵ちゃんのお母さんになった。たしか、句会で「葵」にするか「楓」にするか迷って皆の意見を訊いていた。
 「花鳥来」の年1回の総会は、昼食会も兼ねた和やかな集まりである。そこに毎年、赤ちゃんの葵ちゃんも出席していたので、けん二先生龍子奥様には曾孫のような、私たちも孫が生まれて成長を眺めるような楽しさを味わわせて貰っていた。
 第1句集『蝶の家』は、俳句を始めてから17年間の、俳句を通した渕路さんの生き様が正直に描かれていることを感じた。『蝶の家』は、けん二先生の〈蝶に会ひ人に会ひ又蝶に会ふ〉に魅かれて句集名にしたという。

 今宵は、白石渕路さんの句集名にある「蝶の家」を考えながら作品を見てみよう。

 1・雨粒につぎつぎお辞儀はななづな  【花薺・春】
 (あまつぶに つぎつぎおじぎ はななずな)
 
 2・目をやれば探せと四つ葉のクローバー  【クローバー・春】
 (めをやれば さがせと よつばのクローバー)
  
 3・空蟬のくるりとまはる水たまり  【空蟬・夏】
 (うつせみの くるりとまわる みずたまり)
  
 1句目、花薺(はななずな)は別名ペンペン草。茎の下から順に花を咲かせ花は三角形のバチのような実をつける。ペンペン草の名はこの形から。雨粒が落ちてくる。花を伝い果実に当たると、雨粒の重さでバチのような果実はまるでお辞儀をしているようにうなだれる。「つぎつぎお辞儀」と、たちまちメルヘンの世界に入る渕路さんだ。
 2句目、四つ葉のクローバーを探すのは難しい。この作品の凄さは、最初に見た四つ葉のクローバーから「探してご覧なさい」と、植物から言われたと直感したことであろう。
 3句目、抜け殻となった軽い空蟬が水たまりに浮いている。風が吹いたのか、作者が水に手を入れた拍子か、空蟬はくるりとまわった。〈金魚田に美しき死のひとつ浮き〉という句もあるように、死の世界をふっと覗いてしまう渕路さん。
 
 俳句雑誌「俳壇」6月号に、「新若手トップランナー白石渕路」が大きく掲載されていた。
 今回の、『蝶の家』の作品を見てゆくヒントを頂いたように思う。
 1つは、渕路さんの好きな書は詩人谷川俊太郎の『わたし』とあった。俊太郎の詩は、「考えはじめると止まらない。今まで見ていた景色がちがってみえる。自分の世界がぐらぐら揺れる。」と、読者に思わせてくれる。
 
 渕路さんの俳句は、句集を読み進むうちに、若い渕路さんの視点の鋭さ、明るさばかりでなく暗さ、生の世界も死の世界へも乾いた視点で踏み込んでいることに気づいた。
 
 4・一片の落花の時の流れ出し  【落花・春】
 (いっぺんの らっかのときの ながれだし)
 
 「花鳥来」の吟行句会で春の桜の頃には必ずのように行く東光院という寺がある。満開の桜は、時が止まったようであるが、一片の花が散ったことで、止まっていた時が流れ出したように感じたという。
 『俳壇』6月号には、この作品に触れて渕路さんの自解があった。
 「たとえるなら、一目惚れで恋に落ちた瞬間のような感覚、私は桜と一体になり受胎し、一片の落花となり、地上に生まれ落ちたのかもしれない。」と、あった。
 時が流れ出しただけに止まることなく、作者の渕路さんは、一片の落花となっていた。
 
■影

 5・己が影しなしなまとひ風の盆  【風の盆・秋】 
 (おのがかげ しなしなまとう かぜのぼん)

 『蝶の家』には「影」を詠み込んだ作品が6句あった。
 5句目、お父上が急逝された年の秋の「おわら風の盆」での作品である。〈命日を踊りつくして風の盆〉のように、祈り尽くすように踊り尽くす姿が見えてくる。
 編笠をふかく被って視線を地に落とし、「越中おわら節」の哀切に満ちた唄に合わせて黙々と舞い進む。渕路さんも踊りに加わった。踊っている間は地面の己の影を見ている。その影はしなしなと纏いつくようであった。
 亡くなった父を思いながら踊っていたのであろうか、しなしなまとっているのは、己の影だけでなく亡き父の影でもあったに違いない。言い方を変えれば、影は光があって初めて生まれるものであるから、亡き父がまとい付くほどの光源であったとも言えよう。

■家族

 6・起き抜けの児に東京の雪景色  【雪景色・冬】 
 (おきぬけのこに とうきょうの ゆきげしき)

 Ⅳ章の主なテーマは、結婚10年目に授かった葵ちゃんである。冒頭に書いたように、「花鳥来」の会員は皆、お祖父ちゃんでありお祖母ちゃんである。年賀状は、年ごとに大きくなる葵ちゃんの写真入り。
 「花鳥来」の総会には、入口まではお父さんが連れてきてくれるが、テーブルを巡ってくれる。
 この章には、〈バギーの児ばびぶべ喃語(なんご)秋の雲〉〈こんにちは葵ちやんですお雛様〉など楽しい子育ての作品が並ぶ。
 掲句は、ご自宅のマンションの高階のベランダから東京都心の雪景色を眺めている葵ちゃんの横向きの姿を想像する。「起き抜けの」とあるから、ビルも道路も車輪の跡もなく真っ白だ。世界が真っ白というのはきっと初めてに違いない。お母さんの渕路さんは、美しいもの、素晴らしいこと、全てを児に見せたいのだ。

 さて、「蝶の家」とは一体何なのか、朧げに思うことは、渕路さんが「蝶」になって、蝶が様々のことを俯瞰している構図。ときには、雨粒や一片の花びらや影になり、ときには高所から眺めている。この全てをひっくるめた世界が「蝶の家」かもしれないと考えてみた。

 白石渕路(しらいし・ふちじ)は、昭和45(1970)年、東京都板橋区の生まれ。俳句は、三菱地所ホーム俳句同好会にて始める。平成12年、三菱地所俳句部「菱の実会」に入会、深見けん二、本井英各氏に師事。平成14年、深見けん二主宰の「花鳥来」に入会。第1句集『蝶の家』により俳人協会新人賞を受賞。俳人協会会員。