第五百五十五句 長谷川素逝の「麦の月夜」の句

 九州も例年より3週間ほど早く梅雨入りし、東海地方も4日前の5月16日には梅雨入したというニュースがあった。このところの雨勝ちの日々から梅雨入りは間もなくであろう。
 
 その前にどうしても見ておきたい景色が「麦秋」である。守谷市から鬼怒川に沿って北上し、坂東市辺りで鬼怒川の鉄橋を渡ると、向こう側には麦畑が青田よりも多く植えられていて、車で通り過ぎるだけでも、黄熟した麦の色と香りがたまらなく匂う。
 どの麦畑も同じような色合いになるかというと、そうではなかった。坂野家住宅という、かつての豪農屋敷へ行く途中の一角にある麦畑が、ゴッホの黃を思い出したが、もう少し深みのある赤みのある黄色という色合いであった。
 家に戻って、伝統色を調べてみるとクチナシ色に近い。漢字では支子色(くちなしいろ)また不言色(いわぬいろ)だそうである。
 今日は薄曇りだけれど、ちらと青空も覗いたので2時間ほどのドライブをしてきた。
 
 今宵は、夏の季題「麦」「麦秋」の作品を見てみよう。

 1・子は母と麦の月夜のねむい径  長谷川素逝 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (こはははと むぎのつきよの ねむいみち)

 2・郵便夫ゴッホの麦の上をくる  菅原多つを 『新歳時記』平井照敏編
 (ゆうびんふ ゴッホのむぎの うえをくる)

 1句目、長谷川素逝は明治30年生まれ。子どもが幼い時期は昭和の初期の頃であろうか。今の時代よりも麦畑は多かったという。「麦の月夜」とは、きっと黄熟した麦秋に月光が射していて、うっとりするような夜道を想像する。寝かせる前の散歩で、子は赤ん坊かもしれない。抱かれているうちに月光と麦秋の匂いで、子は今にも寝落ちそうである。

 2句目、菅原多つを氏は、山口青邨の「夏草」同人。麦畑の上の道を自転車に乗った郵便夫が走っている。ゴッホの絵の黄色の麦畑と郵便夫の自転車の赤いカバンと背景の新緑とが、初夏の鮮やかな色彩のハーモニーとなって目に見えてくる。

■中村草田男の「麦」

 3・天から来た影を布置して麦の秋  中村草田男 『長子』
 (てんからきた かげをふちして むぎのあき)

 4・いくさよあるな麦生に金貨天降るとも  中村草田男 『新歳時記』平井照敏編
 (いくさよあるな むぎふにきんか あもるとも)

 3句目、「天から来た影」が褐色に熟れた麦秋の畑に落ちているという景であるが、天から来た影とは、落暉の前の赫々とした輝きがある太陽光線の作る影であろう。「布置」という言葉に、草田男らしい特別な意味がありそうだ。布置はユングの重要な概念と1つで、本来は星の配置のことで、そうした配置にも意味があるという。
 とすると、天から来た赤さを持つ影が「麦の秋」の褐色に熟れた麦畑に落ちた。そこに、麦に重なった影の、濃さを思うべきなのであろうか。

 4句目、「麦生(むぎふ)」は、麦の生えているところ。麦畑であって黄熟していてもよい。句意は、戦をしてはいけない、たとえ麦畑に金貨が降って来るとしても、ということで、反戦の意をもった作品として有名である。
 私は、同じく反戦として読んだが、「麦生に金貨天降るとも」を次のように考えてみた。「戦よあるな。金貨が降って来たかのごとく麦畑がこんなにも美しく稔っているではないか。」と。下の「とも」は、終助詞として強い断定の意がある。
 金貨が天から降ってくるわけはない。だが黄熟した麦畑は、まさに金貨のごとく黄金色に輝いている。