第五百五十七夜 高浜虚子の「秋の雨」の句

 今宵も、続けて『五百五十句』の昭和12年の句を紹介してみよう。

  屋根裏の窓の女や秋の雨
 (やねうらの まどのおんなや あきのあめ)

 昭和12年9月10日、銀座探勝会。会場は木挽町三丁目河岸の朝日倶楽部。
 虚子64歳。季題は【秋の雨・秋】。

 句意は、対岸へ目をやると、屋根裏に住む女人の影が窓に見えている。秋の雨が冷たく降っていますよ、となろうか。
 
 虚子は、『喜寿艶』に次のように自句自解している。
 「屋根裏の一室にゐる或種類の女。その女がぼんやりと窓によつて秋雨の外面を見てをる。」

 「窓の女」は、虚子の自解では窓辺によって雨がしとしと降るのを眺めている女人だという。
 
 句会の前の日暮れであろう。虚子が句会場の朝日倶楽部の廊下に佇んでいると、三十間堀の向う岸の建物の屋根裏の窓辺に女人が佇っているのが見える。女は窓に降る雨をじっと眺めているようだ。さらに見ると、その女の着物姿や髪形が映っているが、派手で粋な着こなしはどうやら夜の女のようである。銀座のクラブ勤めは夜になってからだから、身なりを整え、さらに出かける前の心を整えている暫しの時間帯であろう。
 だが、窓の女はどこか一抹のもの悲しさが漂っているようにも見える。
 虚子編『新歳時記』には「秋雨は蕭条と降る。風が添って荒く降るにしても、またもの静かに降るにしても、つめたく陰気である。長く続くと秋霖とか秋黴雨(あきついり)とか呼ばれる。」とあるように、窓の女の風情は、季題の「秋の雨」の働きである。
 そして、『喜寿艶』に「或種類の女」と書いたように、普通の暮らしをしない女、或る事情をもった女に感じられるのが一抹のもの悲しさであろうか。

 「銀座探勝会」は、銀座に縁のある人たちのホトトギスの句会の1つである。この原稿を書くに当たって、貴重なコピーを「花鳥来」の仲間から頂いた『銀座探勝』は、昭和13年10月に発行された「銀座探勝会」の合同句集である。
 第3回目の、この日の記録は、ホトトギス同人であり作家である大岡龍男であった。後に『不幸者』などの小説も書いている。この龍男の記録に、虚子の吟行の姿がよく描写されていた。
 一部を紹介させていただく。

 「折から防空演習で在郷軍人連がバケツをリレー式に手から手へ勇ましく渡す掛声が聞こえる度に、六丁目の実花さんは首をすくめて笑つた。が虚子先生はふりむきもされずうすら寒い雨じめりの廊下に立つてじつと降りしきる川面を見詰めてゐられた。二十分たち三十分たちしても先生は根から生えた如く動かれない。向岸には高い建物がありその五階の上の屋根裏らしい小さい窓には若い女が半身を乗り出して川を眺めてゐた。先生は静かに懐手のまゝ向岸へ眼をやつてゐられた。

  屋根裏の窓の女や秋の雨

 やがてこの句が披講された時、先生はさりげない様子で「虚子」と静かに名乗られた。」(『銀座探勝』)