第五百六十六夜 中嶋鬼谷の「かたつむり」の句

  かたつむり(童謡)
 
 でんでんむしむし かたつむり
 おまえのあたまは どこにある   
 つのだせやりだせ あたまだせ
 
 でんでんむしむし かたつむり
 おまえのめだまは どこにある
 つのだせやりだせ めだまだせ

 今宵は、子どもの好きな「かたつむり」の句を見てみよう。

■雨

 1・かたつむり忽然と街濡れてをり  中嶋鬼谷 『蝸牛 新季寄せ』
 (かたつむり こつぜんとまち ぬれてをり) なかじま・きこく

 2・かたつむり甲斐も信濃も雨のなか  飯田蛇笏 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (かたつむり かいもしなのも あめのなか) いいだ・だこつ

 3・蝸牛や降りしらみては降り冥み  阿波野青畝 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (ででむしや ふりしらみては ふりくらみ) あわの・せいほ
 
 1句目、掲句の「忽然と」がキーポイントのように思う。かたつむりを見かけた作者は、その瞬間、街が濡れていると感じた。雨の日、雨の中に現れるのがかたつむりだからだ。「忽然と」は、そうした関係を「街濡れてをり」と詩的に変換させる言葉ではないだろうか。
 もう、30年ほど昔、私が石寒太先生の「炎環」に所属していた頃の「石神井句会」に、鬼谷さんも出席されていた。「違うなあ! 鑑賞が違う!」と、大先輩の鬼谷さんからよく叱られていた。

 2句目、飯田蛇笏のこの作品に出会うたび、全く無駄のない4つの言葉「かたつむり」「甲斐」「信濃」「雨」で詠まれていると、いつも感じていた。堂々とした詠いぶりから、殻を背負い頭をもたげた蝸牛が見えてくる。
 
 3句目、蝸牛が登場するのは梅雨の最中で、雨とは切っても切れない関係があるのだろう。また常に身が濡れているためにネバネバした液体を出しているという。「降りしらみては降り冥み」とは、蝸牛の出てくる梅雨の頃の、明るい雨とどんよりした雨の日をこのように表している。

■体

 4・蝸牛の頭もたけしにも似たり  正岡子規 『子規歳時』越智二良編
 (ででむしの かしらもたげし にもにたり) やまだ・みずえ

 5・かたつむりつるめば肉の食ひ入るや  永田耕衣 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (かたつむり つるめばにくの くいいるや) ながた・こうい

 4句目、中七の動詞「もたけし」は、「もたげし」で昔は書き文字では濁点を付けずに、読む際には濁点を付けることもあった。
 句意は、この頃にはほぼ寝たきりであった子規が身を起こそうとしたときの姿が、ででむしが頭を持ち上げたときに似ている、となろう。
 『子規歳時』にそのときのことが書かれている。「明治32年6月26日、阪井久良岐が写真機を携えて子規庵を訪れた。気分のよかった子規は病床から縁側へにじり出てカメラに収まった。」とある。
 
 5句目、この句はむつかしい。小さな花も小さな虫たちも、みな雌雄があり、交み、子孫を繋げてゆく繁殖本能があるという。愛らしい形のかたつむりも然り。童謡「かたつむり」の中に「つのだせ、やりだせ」とある。かたつむりは雌雄同体である。雌雄同体の2匹が「恋矢(れんし)」という「やり」を出して、互いに激しく突っ突き合うことが、「つるむ」ことであるという。
 柔らかなかたつむりの肉は、激しく突き合いながら互いの肉に食い込んでいるに違いない。
 気になっていた作品であったが、今回初めて調べた。
 
■日月

 6・朽ち臼をめぐりめぐるや蝸牛  西山泊雲  『ホトトギス 新歳時記』
 (くちうすを めぐりめぐるや かたつむり) にしやま・はくうん
  
 6句目、西山泊雲は、兵庫県丹波の西山酒造の跡取り。神経衰弱で悩んでいた若き日、「ホトトギス」の師の虚子から、俳句の写生を試みることを勧められた。酒蔵には朽ち臼がある。朽ち臼をじっくり写生した作品の1つが掲句である。代表句に〈土間にありて臼は王たり夜半の月〉がある。西山酒造に、虚子が命名した「小鼓」という銘酒があり、現在もある。
 句意は、長いこと使い古している朽ち臼が、酒蔵に置かれているが、梅雨時には蝸牛が朽ち臼の木枠をうごき回っていますよ、となろうか。
 
 「めぐりめぐるや」は、朽ち臼の丸い木枠の上をあるく蝸牛が「めぐりめぐる」であるが、朽ち臼の年月も亦「めぐりめぐるや」であると思った。