第五百六十八夜 橋本久美の「相撲草」の句

 今宵は、「花鳥来」のお仲間の橋本久美さんの句集『菖蒲吹く』の作品を紹介させていただこう。練馬区光が丘のカルチャーセンターでお会いし、斎藤夏風先生の「屋根」、深見けん二先生の「花鳥来」でご一緒するようになった。だが、句歴はほぼ同じでも、人生の大先輩ということは俳句の深さにおいて格段の開きを感じていた。久美さんは大先輩である。素敵な名は本名で、男性である。

 私も長いこと住んでいた練馬区在住で、斎藤夏風先生が序文で書かれているが「人懐っこい」方で、吟行先でぱったり出逢えば話し込むこともあった。
 句集の章立てに従って見てみよう。

■Ⅰ、Ⅱ章

 1・相撲草曳きてむかしの掌の匂ひ
 (すもうぐさ ひきてむかしの てのにおい)
  
 2・七五三朝のせきれい一羽来て 
 (しちごさん あさのせきれい いちわきて)
 
 3・稲びかり鳥見の窓の沖遠く
 (いなびかり とりみのまどの おきとおく)
 
 1句目、相撲草は、オオバコのことで、子どもたちは手のオオバコを互いに交差させて引っ張りあう。オオバコの茎が切れると負け。「花鳥来」の吟行句会の折に見つけたオオバコで、昔のように曳きあう相撲ごっこをしたとき、オオバコの草の匂いがした。それは、まさに「むかしの掌の匂ひ」であったのだ。「相撲草」としたことで、平明な句姿のよい作品となった。

 2句目、石神井公園の三宝寺池から石神井城址跡を抜けると高台に三宝寺、道場寺、氷川神社と並んでいる。お孫さんの七五三であろう。朝一番に御札と矢を貰って三宝寺池に戻り、池を回りを散策したとき、久美さんは、湿地帯を歩いていた鶺鴒(せきれい)を見つけた。

 3句目、中七の「鳥見の窓」とは、野鳥たちに姿を見られることなく観察できる板壁に穴を開けた窓である。私は、現在住む茨城県にある蛇沼で覗いたことがあるが、「鳥見の窓」という名があることは知らなかった。その時は鳥に会えなかった。
 掲句は、旅先であろう。鳥見の窓を覗くと、沖のはるか遠くに稲光が見えたという。
 
■Ⅲ章

 4・雛の市われも屏風に影淡く  
 (ひなのいち われもびょうぶに かげあわく)

 5・老鶯の谺や蔵王お釜晴
 (ろうおうの こだまやざおう おかまばれ)

 4句目、お孫さんの初節句のために雛市に出かけた。太陽光線が、お雛様の後ろの屏風に影を作っている。どれにしようか雛の品定めをしていると、その屏風に久美さんの影がうっすらと映っているではないか。なんだか、女雛の影と並んで、久美さんの影が男雛の影かもしれないとこの作品は思わせてくれるところが愉快である。

 5句目、蔵王は、私もスキーにも行き、友の友人の陶芸家の「不忘窯」があり、遊びに行った地である。「お釜」は冬は凍っていて真っ白だが、夏のお釜へ歩いて辿り着いたときは感動した。火口湖は吸い込まれそうなほどの美しいエメラルドグリーンだった。
 掲句は初夏、お釜へ到着した久美さんを迎えたのは、老鶯の鳴き声と谺、お釜晴ともいうべき青い空が染めた宝石のようなエメラルドグリーンの火口湖であった。

■Ⅳ、Ⅴ章

 6・師弟句碑あはひ十歩の春の風  〈老いてなほ二人の師あり水温む〉
 (していくひ あわいじゅっぽの はるのかぜ)
  
 6句目、師弟句碑とは、深見けん二先生の句碑が、所沢の山口観音の境内にある山口青邨の句碑の近くに、「花鳥来」の鈴木すぐるさんの力添えによって建てられた、2つ目の〈人はみななにかにはげみ初桜〉の句碑のこと。二人の句碑と句碑との間はわずか歩いて十歩ほどである。平成21年10月の句碑開きには、私も勿論参加していた。
 久美さんは、春風の吹く初桜の頃に行かれたのであろう。
 「屋根」主宰の斎藤夏風先生は、帯文に書かれている。「久美さんは私と同年齢、しぶとく生き続ける世代だ。体力も気力も横溢している。命の美の追求とは限りなく楽しく果てしないものだ。今後どのような美しさを句の中に広げてくれるか期待したい。」と。
 
 橋本久美(はしもと・ひさみ)は、昭和6年、大阪生まれ。平成5年、62歳で斎藤夏風先生の「屋根」に入会、翌平成6年に深見けん二先生の「花鳥来」に入会。平成8年、「屋根」同人。句集『菖蒲吹く』は平成26年刊。俳人協会幹事。NHK学園俳句講座講師。練馬区寿大学通信講座講師。