第五百六十九夜 小林一茶の「引きがへる(蟇)」の句

    サルトルの顔       遠藤周作
 
 哲学者のサルトルは御存知のようにやぶ睨みの小男だった。彼は生涯、そのやぶ睨みの顔でありつづけた。若いときに手術によって眼を治せると医者に言われたが、彼はそれを拒否したという。「これが」と彼は言った。「私自身の顔なんだから」
 サルトルが日本に来た時、私はパーティで彼と二言、三言、話をしたが、その顔には彼がつくった魅力があった。
 だから、親がくれた顔をいかにして魅力あるものに変容するかも男の仕事のひとつだと思う。女は空虚なハンサムなどに惚れはしない。何かを持った醜男(ぶおとこ)に惚れるものだ。
                         『眠れぬ夜に読む本』
                         
 今宵は、蟇(ヒキガエル)の作品をみてみよう。

■身体

 1・云ひぶんのあるつらつきや引きがへる  小林一茶 『現代歳時記』成星出版
 (いいぶんのある つらつきや ひきがえる) こばやし・いっさ
 
 句意は、ヒキガエルというものは、何か主張がしたいような面構えをしていますよ、となろうか。
 
 「つらつき」は、「面付き」で顔つきの意味。「引きがへる」は、ヒキガエル。江戸時代の一茶のころでも昔は、「蟇」と表記しないと駄目というわけでなく、好きな漢字を用いていたようだ。
 「云ひぶんのあるつらつき」は、醜男のサルトルに似ているようだ。醜男だけど、自己をしっかり持っている男を感じさせるヒキガエルだ。

 2・首まげし方へまがりぬ蟇  荒川あつし 『ホトトギス 新歳時記』
 (くびまげし ほうへまがりぬ ひきがえる) あらかわ・あつし

 句意は、動作の全てがゆっくりしているヒキガエルが、やおら首をまげると、その方へゆっくりと曲がって行きましたよ、となろうか。
 
 荒川あつし(昭和6年―昭和53年)は、東京生まれのホトトギスの俳人。清崎敏郎らとともに、「島めぐり作家」であった。「蟇(ヒキガエル)」をじっくり観察し、虚子の教えの、丁寧な客観描写によってヒキガエルの1つの動きを詠んだ。この動作にもヒキガエル独特の、いわば醜男としての独特な魅力があると思った。

 3・蟇のこゑ一夜鉄塊より重し  目迫秩父 『新歳時記』
 (ひきのこえ いちやてっかい よりおもし) めさく・ちちぶ
 
 句意は、一晩中鳴いていたヒキガエルの声は、重厚な声で、まるで鉄の塊よりも重いのではないかと思うほどでしたよ、となろうか。

 大正5年生まれの目迫秩父は、戦後の昭和24年に肺病で入退院を繰り返したという。この作品は、寝つかれぬ夜を、一晩中ヒキガエルの鳴き声とともにあった時のことではないだろうか。ヒキガエルの鳴き声はそれほど大声ではなく「けっけっけっけっ」ほどの声だが、病気の辛さ、若い働き盛りで妻子もいるのにと、考え出したら眠れなくなり、ヒキガエルの声が鉄塊より重く感じられたのだろう。

■暗喩

 4・蟾蜍長子家去る由もなし  中村草田男 『長子』
 (ひきがえる ちょうしいえさる よしもなし) なかむら・くさたお
 
 句意は、長子である自分は、家父長制度に逆らってまで家を去ろうという理由などないのですよ、となろうか。
 
 上五の「蟾蜍(ヒキガエル)」は、季題ではあるが、「蟾蜍」は長子である己自身のメタファーであるといい、生まれた場所に戻って産卵するという蟾蜍の習性を、草田男自身も持っているという決意を込めた作品であるという。
 25年近くになるが、茨城県に移転した時、近くに沼が多いことに嬉しくなった。春のある日、牛久沼の辺りの菖蒲園の端っこに巨大な蝌蚪の紐を見つけた。お玉杓子に孵る日まで沼へ通った。数日後、手や足が生えた。しばらくして行くと、1匹もいなくなっていた。
 園の手入れをしているおじさんに尋ねると、「ああ、あの上の森に帰っていきましたよ。ここで産卵をしますが。」と教えてくれた。知らない遠くへ行ったわけではなかった。産卵の場と住処と、ちゃんと持っていたのだ。
 今、掲句の季題が「蟾蜍」である理由がやっと判ったような気がしている。