第五百七十夜 山口青邨の「新樹」の句

 全ての予感を秘めて鎮もりかえっていた早春が過ぎて、桜の花へ心の高まりを一気に持ってゆき、その慌ただしさも過ぎて、花疲れの中でひと心地などついていると・・・。いつの間にか木々の梢は賑やかになり、いつの間にか少しだけ異なった色合いを見せて、木々は芽吹きはじめている。
 大好きな雑木林を見にいかなくては・・・。
 俳句を始めた頃、父とよく吟行した。初めて吟行は早春の小金井公園。ここで雑木林の木々の違いを教わった。
 いわゆる雑木林と言われるのは、落葉大木・中木のブナ科、カバノキ科の「櫟(クヌギ)」「アカシデ」「ミズナラ」「カバ」「クリ」等が主である。
 雑木林のステキなところは落葉樹だからだ。無から有、有から無の世界へと変化するのがいい。

 そして、芽吹きの頃に、初めて知ったことがある。
 「これがクヌギの花だよ」
 「えっ! 葉っぱかと思っていた」

 クヌギの花とは、薄緑の簪(かんざし)のようにぞろりと六七本の花柱が穂のように垂れ下がっている。雑木林の芽吹きとは、葉と花との両方が一時に訪れる。同じ緑色なので、花だとは思っていなかったのだ。
 どの木も植物だから花が咲くのは当たり前かもしれないが、クヌギやイチョウやケヤキやヤナギやマツの木に、目立たない花を見つけたことに驚き、そして、うれしくなった。
 
 今宵の俳句は、若葉の茂りである「新樹」「新緑」を見てみよう。

■新樹

 1・この新樹月光さへも重しとす  山口青邨 『乾燥花』
 (このしんじゅ げっこうさえも おもしとす) やまぐち・せいそん
 
 句意は、初夏の瑞々しい若葉の茂った新樹である。月光が降り注いでいる。風もなく新樹は月光をうけて重そうな気配がしている。まだ若葉である新樹は、昼間の光の中であったり風が吹いていたりすれば、軽やかに感じるはずである。月光に照らされた新樹は、それだけで重さを感じているようですよ、となろうか。
 
 月光の中の新樹には影ができる。1つ1つの葉に影が生まれることは、昼間とは違う影という虚の重さを更に引き受けることになるとも言える。

 2・夜の新樹こゝろはげしきものに耐ふ  桂 信子 『桂信子全句集』
 (よのしんじゅ こころはげしき ものにたう) かつら・のぶこ
  
 句意は、夜の新樹というのは、激しく心が動いている時の必死に耐えている私の姿のようですよ、となろうか。
 
 桂信子は、大正3年の生まれ。日野草城に師事。俳句は、「表現は平明に内容は深く」が信条。第2句集『女身』では瑞々しく女の情念を詠んだ。戦後女性の開放感もあるだろうが、女性性の俳句素材は勇気ある先達と言えよう。
   ゆるやかに着てひとと逢うふ蛍の夜  『月光抄』
   ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ  〃
   衣をぬぎし闇のあなたにあやめ咲く  『女身』
   暖炉ぬくし何を言ひだすかもしれぬ   〃
 
 戦後も既に76年目になったが、俳句で性を扱った作品はほとんど見ることはないように思う。
 掲句の中七「こゝろはげしきもの」とは、怒りなどではなく、桂信子氏の若き日の恋の苦しさであるに違いない。季語は「新樹」。だが「夜の新樹」としたことで、明るさは消えて、新樹は闇を纏って、一気に黒々とした塊のように見えてきた。

■新緑

 3・摩天楼より新緑がパセリほど 鷹羽狩行 『遠岸』
 (まてんろうより しんりょくが パセリほど) たかは・しゅぎょう

 句意は、アメリカ合衆国ニューヨークのマンハッタンにある超高層ビルの高階から地上のセントラルパークを見下ろした時のこと、はるかな地上の木々の新緑が、ちょうどパセリの束のようにみえましたよ、となろうか。
 
 鷹羽狩行氏がニューヨークへ仕事の出張で出かけたのは38歳であったというから、当時1番の摩天楼はエンパイアステートビル。高さが443.2メートル、102階の建物であった。
 その後も長いこと高層ビルの1位を誇っていた。「新緑がパセリほど」と言い切った俳句は、戦後生まれの読者にとって憧れの高層ビルであり、新鮮であった。