第五百七十三夜 高浜虚子の「我生の虹」の句

 虹は好きだ。東京からハイウェイに乗って、国道に出ると当時住んでいた取手市は西から東へ直線を走る。夕方近く通りかかると夕立となりしばらく走ると止んだ。その時だ。前方にふとぶととした虹の懸け橋が現れた。片方の虹の脚は左手の田んぼの中で、そこからグワーンと輪になって右の脚は見えない。
 虹の輪をくぐれたらいいな! アクセルを踏み続けた。だが一向に追いつかない。しばらくすると、虹は薄くなり消えてしまった。
 家に帰り、気象予報士の平沼洋司著『気象歳時記』を開いた。
 ① 虹は太陽を背にして、自分の面前で雨が降っている時に現れる。
 ② 空気中の水滴が太陽光を反射して見える現象である。
 ③ くぐって、虹の向こう側へ行くことはできない。
 
 今宵は、虚子の詠んだ最後の「虹」の句を紹介しよう。
 『虚子五句集』を調べると虹の句は12句で、その中の9句が三国の愛子の虹にまつわる作品であった。さらに、「昭和22年4月2日 愛子死去の報到る。」の詞書の慶弔贈答句〈虹の橋渡り遊ぶも意のまゝに〉がある。

■『虚子五句集』より

  我生の美しき虹皆消えぬ  『七百五十句』
 (わがしょうの うつくしきにじ みなきえぬ)

 昭和32年7月15日は、13日から16日までの千葉県鹿野山神野寺の夏行句会の3日目であり、この日の『句日記』には29句あった。その中に籐椅子の句は5句、虹の句は9句であった。この日、籐椅子に身を休めながら虹を実際に見たのだろうか。
  虹立てよ大藁屋根の上かけて
  虹立ちぬ女三人虹五色
  愛子の虹消えて十年虹立ちぬ
  十年になりぬ三國の虹消えて
  小説の虹の空しき如くなり
  山寺を包める虹の立たざるや
  我生の美しき虹皆消えぬ
  此山にたゝんとしたる虹消えぬ
  虹消えて籐椅子唯あり縁の先

 籐椅子に半分うつらうつらしながら、虚子は三国や愛子や虹にまつわる様々なことを思い出すままに心をたゆたわせていた。かつて書いた自分の小説をなぞるように、三国で虹を見たときの、「虹が立つてゐる」「あの虹の橋を渡って鎌倉まで行くことにしましょう。今度虹がたつた時に……」「渡つていらつしやい。杖でもついて」「えゝ杖をついて……」の会話に始まった虹物語に登場した虹の1つ1つが、走馬燈のように立ち現れた。夢から覚めると夢の出来事が霧散してしまうように、あの美しかった虹の1つ1つが皆消えてしまったのを感じた。

 小説「虹」の書かれたのは昭和22年で、『苦楽』一月号に掲載、後十二月に『虹』は単行本として苦楽社から出版された。物語の主人公である森田愛子が亡くなったのは昭和22年4月1日であった。同じ結核を病み同じ病院に入院し同じく俳句を志していた伊藤柏翠とは結婚はしなかったが、愛子の家に暮らし、愛子亡き後も愛子の母と実の親子のように暮らしていた。
 その後柏翠と愛子の母は、九頭竜川脇の森田家で「虹屋(にじや)」と名づけて料理屋を始めた。愛子の住んでいる部屋を「愛居(あいきょ)」と名づけたのも虚子であったが、虹屋の看板も虚子が揮毫した。
 虹屋は、九頭竜川を眺め、三国の大店の森田家分家の食器は見事なもので、柏翠の料理も美味しく、元芸妓の愛子の母の三味線もあり、三国有数の料亭として繁盛していた。
 柏翠は昭和21年から、俳誌『花鳥』を主宰し俳人として活躍した。昭和32年6月に柏翠は料亭「虹屋」を廃業し、以後は毎日新聞坂井郡通信部長を勤めた。
 柏翠は、虹屋の開業に際して相談しお世話になった虚子に、廃業に際しての報告したのは当然で、その報せは、夏稽古の始まる半月ほど前のことであった。
 句意は、長いけれど「我が生の美しき虹」とは、以上のようであろうと思う。
 
 だが下五の「皆消えぬ」を単純に捉えてよいのだろうか、私にはどうしても掴みきれない思いが残ったので『虹』4部作を読み返してみた。「虹」「愛居」「音楽は尚ほ続きをり」「小説は尚ほ続きをり」から成る4部である。

 病弱な境涯の愛子が俳句へのめり込み師である虚子へ全身全霊を傾けたことは自然なことで、愛子の言う阿弥陀様を信仰するように純粋なものであったし、虚子もまた確かに愛子のアガペ的な愛を受けとめていたのだろうと文中から読みとれる。
 
 それなのに、3作目「音楽は尚続きをり」では愛子の死の報せを受けた虚子の気持が、「愛子の死を聞いた時は、私は別に悲しいとも思はなかつた。」と書かれている。この箇所が、数年前初めて読んだときにどうしても納得できなかった。『虹』を書くきっかけとなった愛子の死に直面しての虚子の何と冷たい言葉であろうかと思っていた。
 
 私は、大正4年、虚子の四女六(ろく)の没後に書かれた小説『落葉降る下にて』も読み直した。
 ただ為すすべもなく死を待つしかなかった愛児の死に接した虚子はこの小説で、「凡てのものの氓びて行く姿を見よう」「何が善か何が悪か、善悪混淆の現状そのままが成仏の姿であり、諸法実相ということはこのことであり、唯ありの儘をありの儘として考える外はない」という死生観を明確にしたように感じる。
 自然も人間も全てが天地運行の中にあり、花が咲いて散り葉が枯れて朽ちるように、人間もそれぞれの宿命を終えれば死ぬ。死も含めて人間生活の根底は人間のはからいを越えたものであり、これが諸法実相なのだと虚子は書いている。
この死生観に触れたとき、今まで納得出来なかった箇所が少しだけ分かり始めた。四女六の死も愛子の死も虹も諸法実相の一つなのだ。

 どうやら、虹は消えるもので、儚いから美しい。
 虚子は、今眼前の虹が消えるとともに、虚子の生涯に出合った美しい虹も、あれほど輝いた「虹物語」も色褪せて皆消えてゆくのを感じた。再び虹が立つ時に「虹物語」は蘇るだろう。