第五百七十四夜 津田清子の「虹二重」の句

 春先のこと、黒雲が動き、雷雨となり、あっという間に過ぎ去った夕方、もしかしたら「虹」が見えるかもしれないと、見晴らしのよい通りへ出て、東の空を見た。
 「お父さん。虹が出ていますよ―っ!」
 「おーっ!」と、間一髪で虹を見ることが出来た。
 
 今宵は、「虹」「虹二重」の、高浜虚子の「虹」以外の俳人の素晴らしい作品を見てみよう。

■神秘と幸福

 1・虹二重神も恋愛したまへり  津田清子 『礼拝』
 (にじふたえ かみもれんあい したまえり) つだ・きよこ
 
 句意は、虹が二重になって空に出ています。並んだ二つの虹は天の男神と女神の恋愛なさっている姿でしょう、となろうか。
 
 私がきれいな虹二重を見たのは、台風が過ぎ去った夕方であった。利根川の土手に駆け上って水位を確かめたかった。「危ないから行くな」と夫から言われたが、黒ラブを連れて飛びだした。利根川の川幅は尋常ではなく湖のようであった。
 しばらくすると、小学生と中学生の男の子が土手を駆け上ってきた。小学生の子が、「おばちゃん、うしろ、虹が2つ出ているよ!」と声をかけてきた。次に上ってきた中学生のお兄ちゃんが、「知らない人に話しかけたりしてはダメって、お母さんが言っていたじゃないか」と弟を諭した。
 後ろを振り向いた私は、中空にうっすらと虹二重を見た。「ありがとう!」と2人に告げ、それ以上は話をしなかった。
 虹二重と仲良し兄弟・・私はなんだか嬉しい気持ちになって帰宅した。

 2・虹に謝す妻よりほかに女知らず  中村草田男 『萬緑』
 (にじにしゃす つまよりほかに おんなしらず) なかむら・くさたお

 句意は、つくづく虹に感謝している。私は、妻より他に女は知らないのですよ、となろうか。
 
 草田男は、昭和10年の年譜に、「所謂『見合ひ』前後通じて10回に及ぶ、所謂『巡り合ひ』の一事の実現を信じて、他事一切を顧慮せざりしのみ。12月、福田功一の次女直子とホトトギス同人影山荀吉氏宅に於いて相会す」と書いている。
 草田男の愛読書ニーチェの『ツアラツストラ』には、「結婚、と私が呼ぶのは、当の創造者よりもさらにまさる1つのものを創造しようとする2人がかりの意志である。そのような意志を意志する者として、相互に抱く畏敬の念を、私は結婚と呼ぶのだ。」とある。
 草田男はニーチェの教えに従って、見合いを重ね、直子に出合ったのだ。
 中七下五の「妻よりほかに女知らず」は、まさに、その通りであったし、2人が生涯添い遂げたことは素敵なことだと思った。
 
 ここでの「虹」は幸福のシンボルであろう。
  
 3・共に見し沼の虹とはなられけり  深見けん二 『菫濃く』
 (ともにみし ぬまのにじとは なられけり) ふかみ・けんじ
 
 句意は、かつて印旛沼で一緒に吟行を重ねた、わが友・石井とし夫さんが虹になってしまわれましたよ、となろうか。
 
 カルチャーセンターの教室では、「ホトトギス」「夏草」の俳人の作品のコピーが配られて、句の説明してくださった。〈浮巣見の舳の向きを立て直し〉の説明をお聞きしたことがあった。
 掲句には、「悼 石井とし夫さん」の詞書があった。「とはなられけり」の「とは」は、「と」を強めた言い方であることに気づいて、句意をやっと掴むことができた。
 「沼の虹とはなられけり」とは、今、石井とし夫さんは印旛沼の虹となったのだから、虹を見る度に人々は思い出すだろう。