第五十七夜 石 寒太の「さくらんぼ」の句

  さくらんぼルオーの昏きをんなたち  石 寒太
 
 鑑賞してみよう。
 「さくらんぼ」は、五月の太陽に実が赤くなるが、梅雨時に出回る果物。作者は、さくらんぼを食べながらルオーの描く若い女の絵画へ思いを飛ばした。暗い色合いのルオーの絵の中の赤の一点は、化粧もしていない若い女の唇であるが、絵画から伝わってくるものは若い女の眼差しに宿る小さな輝きである。ルオーの生きた十九世紀の時代の庶民は貧しかったが、季題の「さくらんぼ」は若者たち誰もが持つ「ささやかな夢と希望」を象徴するものと作者は捉えたのではないだろうか。
 
 私は、父の影響で絵画を観るのが好き。若い頃はセザンヌ、シャガール、モネ、クリムト、ユトリロ、三岸節子など油絵一辺倒であったが、近頃は、単調だと思っていた日本画も好きになってきた。
 「シャンソンは語るように台詞は歌うように」と言われるが、この奥義を援用するならば、「絵画は詩のように俳句(詩)は絵を描くように」となる。画家の名を俳句に詠み込んで、どれほどの詩的効果があるのだろう。だが感動を受けた作品は、画家の世界への共鳴である。共鳴した世界は、もう自分自身の感性の世界であると思う。
 
 石寒太(いしかんた)は、昭和十八(1943)年、静岡県の生まれ。「寒雷」の加藤楸邨に師事。毎日新聞出版「俳句あるふぁα」の編集長。平成元年に「炎環」を主宰。この頃に入会した私は、七年間ほど「石神井句会」を共にした。当時は、若い主宰者を皆「寒太さん」と呼んでいた。月一回の当日は、席題のある三時間ほどの句会が終わると石神井公園を散策し、公園脇の茶屋で二次会と袋回し句会、もう一軒三次会をして、丸一日が過ぎ、いつも真夜中に、主宰をご自宅に送り届ける大切な役目は私たち夫婦であった。まだ若くて生意気で俳句に真剣で、すこしハチャメチャな時代でもあった。
 若き日の寒太さんの作品で一番好な句を紹介しよう。
 
  かろき子は月にあづけむ肩車
 
 子どもはお父さんがお休みの日が好き。肩車が大好き。お父さんよりも高いところから眺めることができるから。
 お父さんは、肩車をした子をちょっと脅かしてみる。ほーら、月にあげちゃうよ。と、放る真似をしてみる。子は、父から離れまいとして、小さな柔らかな手でしがみつく。