第五百七十五夜 高浜虚子の「月の江口」の句

 『新古今和歌集』(978〜979)に収録の西行法師と遊女妙の贈答歌がある。

  天王寺に詣で侍(はべ)りけるに、俄に雨のふりければ、江口に宿を借りけるに、貸し侍らざりければ、よみ侍ける 
 1・世中をいとふまでこそかたからめ かりの宿りをおしむ君かな  西行法師

 返しは次のようである。               
 2・世をいとふ人としきけばかりの宿に 心とむなと思ふばかりぞ  遊女妙

■あらすじ

 1の西行の歌は、「この世を厭い、出家するのは難しいかも知れないが、貴方はかりそめの宿を貸すことまでも惜しむのか」と、一夜の宿りを断った遊女をなじる歌。
 2の「江口の里」の遊女妙は、「ご出家の身だと伺ったので、こんな仮の世の宿などに心をお留めにならないように、と思っただけです」と当意即妙の返しをする。
 
 この贈答歌に打たれ、能「江口」に仕上げたのが能役者で能作者の世阿弥であった。
 能「江口」の形式に変わると、前段のシテがじつは「江口の君」であり、さらに「普賢菩薩」であることが判明してゆく。「能」はシュールだ。表情のない能面、わずかな動きの舞、足踏みの音、美しくて全体に哀しみが漂っている。謡の言葉を理解してから観ればいいのだろうが、私は、なぜか能舞台から醸す雰囲気が好きでしばらく通った時期があった。

■昭和13年10月2日、虚子の句会「武蔵野探勝」第97回では宝生流の「江口・砧」を観た。
 当日の句会の作品は、『武蔵野探勝』、『句日記』、『五百五十句』に掲載されている。それぞれを見てみよう。
 
 『武蔵野探勝』4句。句会での作品。
  秋の日の江口砧とうつりゆく
  美女幸寿いづれか野菊赤のまゝ
  序の舞の序の徐ろに月の舞
  くまもなき月の江口のシテぞこれ

 『句日記』8句。推敲し、「ホトトギス」に掲載。
  秋の日の江口砧と移り行く
  能の秋父は後見子は子方
  美女幸寿いづれか野菊赤のまゝ
  仲光の愁傷の舞秋の蝶
  一面に月の江口の舞台かな
  目のあたり月の遊女の船遊び
  序の舞の序の徐ろに月の舞
  澄みわたる月の江口のシテぞこれ
  
 『五百五十句』2句。句集へ掲載。
  
  目のあたり月の遊女の船遊び
  一面に月の江口の舞台かな

 今宵は、武蔵野探勝会で観た能「江口」の作品の『五百五十句』掲載の2句を紹介しよう。

■『五百五十句』

 1・一面に月の江口の舞台かな
 (いちめんに つきのえぐちの ぶたいかな)
 
 2・目のあたり月の遊女の船遊び
 (まのあたり つきのゆうじょの ふなあそび)

 1句目、「一面に月の」と詠みだしているが、能舞台には、勿論のこと月もなければ暗くもない。ただ、舞台の囃子方の笛や鼓や小鼓の音とシテやワキの謡の文句、そして地謡のすべてから月夜の明るさを感じることができる。
 虚子は、第一声の笛の音がするや、橋掛かりに登場するシテの姿から「一面に月の江口の舞台かな」と、いよいよ能が始まったという作品であろう。
 2句目、作り物は屋形船。この船にシテの普賢菩薩の化身でもある江口の君とワキツレの2人の侍女が乗る。能の作り物は、「江口」では屋形船の木枠のみというシンプルなものである。この中で、3人はしずかな上品な序の舞によって、船遊びの喜びを表した。
 上五の「目のあたり」によって、虚子は、3人の若い女たちの楽しげな姿を感じていることが伝わってくる。