第五百七十六夜 大田邦武の「時の日」の句

 今日は「時の記念日」。あらきみほ編『毎日楽しむ名文 365』蝸牛社刊から仏教学者・鈴木大拙の一文を紹介させていただく。
 
  「刹那」はもうない           鈴木大拙
  
 「時」を刻むと云ふ時計なるものがある。カチと響いてしまへば、それが過去で、カチカチとやつて居るときが現在で、まだカチとも何とも云はぬときが未来だと云ふ。但し少し考へて見ると、これほど曖昧なことはない。なぜかと云ふと、このカチなるものを捉へることほど曖昧なことはないのである。カチときくとき、それは既に過去であり、まだきかぬと云へばそれは未来である。現在は過去が未来に転ぜんとする刹那がそれだと云ふが、その刹那はいつも移動性をもつて居る。アッと云ふ間もなく「刹那(せつな)」はもうそこにないのである。(以下略)
 
 今宵は、「時の日」の作品を見てみよう。

■時と刻

 1・時の日の刻をころがし豆を煎る  太田邦武 『新歳時記』平井照敏編
 (ときのひの こくをことがし 豆を炒る) おおた・くにたけ

 句意は、今日は時の日だなあ、そんな事を考えながら豆を煎っていると、鍋で「刻」を転がしているようですよ、となろうか。
 この「刻」は、わずかな時間ともとれるが、昔の時間での、一時 (ひととき) の4分の1、今の約30分間をいう場合もある。豆は弱火で丁寧に煎ると美味しいので、作者は30分ほど鍋を回していたのであろう。
 太田邦武氏は、大阪市の結社「槐」同人。

 2・永劫の刻を時の日弄ぶ  井沢正江 『カラー図説 日本大歳時記』講談社
 (えいごうの こくをときのひ もてあそぶ) いざわ・まさえ

 句意は、きわめて長い年月の刻を、今日は「時の記念日」であるからと、本来はもっと真面目に扱う問題であるはずなのに軽く考えているようですよ、となろうか。
 井沢正江氏は、皆吉爽雨の弟子。師の結社の「雪解」の継承者。
 
 1日をどう区切るか、時と刻があることは知ってはいるが、戦後生まれの者にとっては、1日の流れが24時間だと思って生きている。しかし、中世の文学では「子の刻」「丑三つ時」などがあり、慌てて調べながら読み進めていたことを思いだす。
 中国では100刻の時代があり、日本でも1日を48等分する刻があった。刻は1日を48に分けたおよそ30分となる。現代使われている時は、時間のことであり、1日を24に分けたおよそ1時間を意味する。

■時の日(6月10日)

 3・時の日の花鬱々と花時計  下村ひろし 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (ときのひの はなうつうつと はなどけい) しもむら・ひろし
 
 句意は、時の日の花時計の花壇の花は、いつもと違って鬱々としているようだ。今日は、花が主役ではなく、チクタクと音も立てながら動いている針に人々の眼は注がれているようだ、となろうか。
 花時計とは、花壇と時計が一体となったものをいう。公園や駅などにモニュメントとして設置されることが多い。「時の日」にはこのように花が主役でない日なのである。「鬱々」と「チクタク」がどこかで響き合っているようで、どこか哀しくユーモラスでもある。
 下村ひろしは、長崎生まれの俳人。水原秋桜子に師事し「馬酔木」同人。後に「棕梠(しゅろ)」を創刊・主宰。
  
 「時の記念日」「時の日」は、日本の記念日の1つ。毎年6月10日。奈良の明日香村に水落遺跡があり、『日本書紀』にある天智天皇10年(671年)年6月10日に日本で初めて時計(「漏刻(ろうこく)」と呼ばれる水時計)による時の知らせが行われたとされる故事からこの日となった。
 伊藤博文を会長とする生活改善同盟会が発足し、日常の生活改善の十項目として第一に「時間を正確に守ること」を掲げた。大正9年5月16日から「時」展覧会が東京教育博物館で行われ、この期間中に提案されたのが「時の記念日」であった。

 時の記念日に、思いがけず「時」「刻」「漏刻という水時計」を調べてみるきっかけになった。