今日は6月13日、太宰治の忌日で「桜桃忌」という。青森県金木町の資産家に生まれた小説家。代表作は『斜陽』『人間失格』『走れメロス』など。
39年の生涯で5回の自殺未遂、最後は玉川上水で愛人と入水心中。遺体が発見されたのは6月19日の太宰治の誕生日であった。
デカダンな生き方、デカダンな作品の太宰治に惹かれはするが、どこか近づくまい、と思っていた。
今宵は、ちょうど咲いている「栗の花」の作品を紹介してみよう。
■香
1・栗咲く香血を喀く前もその後も 石田波郷 『現代俳句歳時記』角川春樹編
(くりさくか ちをはくまえも そのあとも) いしだ・はきょう
2・栗咲く香この青空に隙間欲し 鷲谷七菜子 『新歳時記』平井照敏編
(くりさくか このあおぞらに すきまほし) わしたに・ななこ
3・花栗のちからかぎりに夜もにほふ 飯田龍太 『現代俳句歳時記』角川春樹編
(はなぐりの ちからかぎりに よもにおう) いいだ・りゅうた
1句目、句意は、栗の花の咲く頃の匂いは、石田波郷は、喀血の前のムッと血が胃壁からこみ上げる匂いと、その後、喀血した時に口中から鼻孔へぬける匂いに似ています、となろうか。波郷は長いこと肺病で入退院を繰り返し手術もしている。私の母も結核で入院したことがあり、波郷と同じ喀血の苦しみを聞いていた。
2句目、句意は、鷲谷七菜子さんの栗の花の香は、広い栗畑を吟行した時のことであろうか。七菜子さんは、ものすごい香から抜け出したい、この籠もった香が抜けてゆけるような穴が、青空の隙間という穴があるといいなあ、ほしいなあ、と願った。
3句目、山梨県笛吹川の山岳に住んでいた飯田龍太にとっての栗の花の香は、おそらく大きな栗林に籠もる香であろう。ある時の夜の散歩で「ちからかぎりに」と匂うほどの、圧倒的な凄さに出合ったのであろうか。
栗の花の匂いを間近に嗅いだことはなかったように思う。昨夜の「千夜千句」578夜では、栗の木の毛虫のことを書いたが、小学生の頃のことであり匂いは感じていたとしても表現できなかった。今宵も、よく言われている「精子の匂い」とは表現しなかった。
■心象
4・ゴルゴダの曇りの如し栗の花 平畑静塔 『新歳時記』平井照敏編
(ゴルゴダの くもりのごとし くりのはな) ひらはた・せいとう
4句目、イスラエルのゴルゴダの丘。この丘でイエス・キリストは磔にされ、亡くなられたのだった。中七の「曇りの如し」は、満開の頃の栗の花の白っぽいもわっとした咲きようを「曇りの如し」と捉えたのか、ゴルゴダの地名から連想されるイエス・キリストの死を「曇りの如し」と捉えての表現なのか、おそらく両方であろう。
栗の花は、そのような思いにさせる何かがある。
平畑静塔は、精神科医でありカトリックの信者であった。
■形象
5・栗の花紙縒の如し雨雫 杉田久女 『現代俳句歳時記』角川春樹編
(くりのはな こよりのごとし あましずく) すぎた・ひさじょ
6・濁流のしぶくところに栗の花 上田五千石 『蝸牛 新季寄せ』
(だくりゅうの しぶくところに くりのはな) うえだ・ごせんごく
5句目、杉田久女は、栗の花の長く伸びた花の1本1本が雨雫に濡れて「紙縒(こより)」のように見えたという。久女と言えば〈足袋つぐやノラともならず教師妻〉などの烈しい作品を思うが、師の高浜虚子の教えの「写生」を守って俳句に励んだ人であった。
6句目、上田五千石は、濁流の水しぶきがかかるところに咲く栗の花を見ていたのであろうが、このように詠まれると、栗の花の形と咲きようが、水しぶきに似ていると感じさせる不思議がある。