第五百八十八夜 高木晴子の「あぢさゐ」の句

 「長崎は今日も雨だった」という、前川清&クールファイブの歌謡曲がある。私が3年間住んだ長崎は、それほど、雨の多い街であったこと、勤務していた活水高等学校の近くの松山町には広々とした平和記念公園があり、長崎市民の平和への願いを象徴する平和祈念像があったこと、初夏には紫陽花の花が至るところに咲いていたことを思い出している。
 
 医師で博物学者のドイツ人シーボルトの恋の話も有名で、シーボルトが帰国する折には、日本で収集した花を押し花にして持ち帰ったが、日本ではシーボルトの妻として暮らした「滝」を「お滝さん」と呼んでいたことから、紫陽花の押し花に「オタクサ」と名付けたという。
 令和2年の夏に、夫の故郷である長崎へ娘と2人で旅行した。3日目は、グラバー邸や江戸時代のオランダ人商館のある出島を訪れたが、当時の異国情緒を味わうことができた。
 
 今宵は、「紫陽花」「額の花」の作品をみてみよう。

■紫陽花=アジサイ(ホンアジサイ)は、日本で原種ガクアジサイから改良した園芸品種。

 1・あぢさゐや真水の如き色つらね  高木晴子 『現代歳時記』成星出版
 (あじさいや まみずのごとき いろつらね)

 句意はこうであろう。紫陽花の花には白、青、濃紫とさまざまの色があるが、青い紫陽花も、最初は白から始まって青い花になる。どの色も浅い深いの違いはあっても真水と同じように、澄み切っている。
 高木晴子は虚子の5女。幼い頃から父虚子に俳句を教わっていた。父を見て、兄や姉の俳句を見て、対象をじっと眺めての作品作りが身に染み込んでいる。しかも「真水の如き」という捉え方は客観的というよりも主観的であり晴子独自の感性とも言えよう。「晴居」を創刊主宰。

 2・かなしみはかたまり易し濃紫陽花  岡田日郎 『合本 俳句歳時記』角川書店
 (かなしみは かたまりやすし こあじさゐ) おかだ・にちお

 句意はこうであろうか。悲しい時、辛い時、人の心はひとつの想いに囚われてしまう。そうした状態が「かたまり易し」ではないだろうか。小花の集まった紫陽花の毬にどこか似ている。

 3・灰色のモザイクの街濃あぢさゐ  あらきみほ 『ガレの壺』
 (はいいろの モザイクのまち こあじさい) あらき・みほ

 掲句は、平成5年の筆者の句である。俳句を始め、深見けん二先生の「花鳥来」に入会し、暫くすると小句会「青林檎」が生まれた。40代の若手メンバーである。この句会もけん二先生が最初の10年ほどは出席してご指導くださっていた。
 「詩の影響がある個性的な感覚の句」と言われていた頃の句である。「灰色のモザイクの街」とは、梅雨の頃、紫陽花の別名「四葩(よひら)」という呼び方の、4枚の花弁を一塊として集まった紫陽花という花が、其方此方に咲いている街の表現である。

■額の花=額紫陽花(ガクアジサイ)はアジサイの原種の1つ。

  額の花いまはの仔細人づてに  庵 達雄 『季寄せ 草木花』朝日新聞社
 (がくのはな いまわのしさい ひとづてに) いおり・たつお 

 額紫陽花(ガクアジサイ)は、 花の中心に蕾のような花が集合し、その周りに額片(ガクヘン)と呼ばれる葉っぱが変化した部分がついているのが特徴。 日本では九州など本州よりも暖かい南の地域に自生しているという。 

 句意はこうなろうか。例えば句会の先輩が重篤な病気で亡くなられた時のことを、身内の方からでない人から詳しく聞いている。梅雨時でガクアジサイが花瓶に活けてある。澄んだ水色の花は、淋しさを感じさせる花だが、清らかで美しい。亡くなられた方の生き方や病気との闘いぶりも、そのようであったに違いない。