第五百八十九夜 深見けん二の「デイゴの花」の句

 今日は、沖縄慰霊の日。
 昭和20年(1945)、太平洋戦争では「国内最大の地上戦」と呼ばれる沖縄戦の戦場となった。米軍は4月1日に沖縄本島の読谷村の海岸に上陸し、本島の北半分を制圧し、日本軍は米軍の総攻撃を受け南部に追い込まれ、総司令部が置かれていた首里城も焼け落ちた。6月23日、沖縄守備軍最高指揮官の牛島満中将らが摩文仁(まぶじん)で自決したことで組織的戦闘は終結した。約3カ月に及ぶ激戦により県民の4人に1人(およそ20万人)が犠牲になったという。この沖縄戦後、アメリカ合衆国GHQの司令により南西諸島は米軍軍政下となり、沖縄県は消滅。
 
 沖縄返還は、昭和47年(1972)5月15日に、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還されたこと(​沖縄本土復帰)を指す。日本国側は佐藤栄作内閣総理大臣、アメリカ合衆国側はニクソン大統領との間で沖縄返還署協定の調印、その後正式に沖縄は日本へ復帰した。
 沖縄慰霊の日は、沖縄県が制定[1]している記念日で、日付は6月23日。沖縄戦等の戦没者を追悼する日と定められ、沖縄県および沖縄県内の市町村の機関の休日でもある。
 現在、摩文仁は沖縄戦跡国定公園に指定されており、6月23日は慰霊の日として沖縄県の休日となっている。

 今宵は、沖縄の県花である「デイゴの花」、南国の花である「仏桑花(ハイビスカス)」の俳句をみてみよう。

■デイゴ:マメ科の落葉高木

 1・デイゴ散る島の墳墓の石畳  深見けん二 『余光』
 (デイゴちる しまのふんぼの いしだたみ)

 句意は、こうであろう。沖縄旅行で、大戦中に戦場となった島を訪れた。あちことに墳墓がある。ときには家よりも大きく立派な墳墓もあった。その石畳を行きながら、あたりのデイゴの花が咲きほこり且つ花びらを散らしていた。ちょうど戦争の流血の赤い色のようであった。デイゴの花は、枝先に総状花序を出し、緋紅色の蝶形花を密生する。
 
 太平洋戦争で米軍と日本が地上戦になったのは沖縄だけであった。この激戦で命を落としたのは20万人にも上り、沖縄県には442基の慰霊塔の碑があるという。

■仏桑花(ハイビスカス)
  
 2・屋根ごとに魔除獅子置き仏桑花  轡田 進 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (やねごとに まよけじしおき ぶっそうげ) くつわだ・すすむ
 
 句意はこうであろう。沖縄では、いたるところにシーサーと呼ばれる魔除けの獅子が飾られている。赤瓦の屋根の上、門柱の上、公共施設の入口などである。口を開けた雄のシーサーで福を招き入れ、口を閉じた雌のシーサーはあらゆる災いを家に入れないとされている。そのシーサーを屋根に置き、庭には、ハイビスカスの大きな花がさいていますよ、となろう。
 屋根にシーサーを置く位置は、その真下に仏壇のある位置だという。

 3・村人にハイビスカスの長き舌  有馬朗人 『現代俳句歳時記』成星出版
 (むらびとに ハイビスカスの ながきした) ありま・あきと

 句意はこうであろう。大きくて色鮮やかな花のハイビスカスは、花びらが5枚、花の大きさは10センチ近いものもある。特長は、花びらの真ん中にニョキッとあるもの。有馬朗人はそれを「長き舌」と表した。ハイビスカスの花を見る村人たちは、花が長い舌を「ベーッ」と出して見せているというのだろうか。

 有馬朗人の詠んだ「長き舌」は、長く突き出た蕊柱(雄しべと雌しべの合着したもの)である。 ハワイでは、ハイビスカスの花を紐で繋げて、歓迎用のレイにする。