第五百九十夜 深見けん二の「青林檎」の句

 青林檎とは、りんごを未熟なまだ青い状態で収穫したもの。 または、熟しても青や緑のまま赤くならないりんごの品種をいう。
 本日書こうとしている「青林檎」は、「花鳥来」主宰の深見けん二が、10人ほどのメンバーで互いに切磋琢磨できるようにと作った小句会「青林檎」のことである。40代前後で句歴もそれほど長くはない。筆者の私などは俳句を始めて3年目ほどであった。
 夜の句会で、10年ほどはけん二先生も出席くださった。健水さんが代表であったが全員が平等の立場で選をし講評した。
 
 句会名「青林檎」は深見けん二の代表作〈青林檎旅情慰むべくもなく〉からであった。句会「青林檎」は、季刊の同人誌「青林檎」として発表するようになって、現在14年目の第54号(秋)の準備中である。

 今宵は、同人誌「青林檎」の9人の作品を53号より紹介しよう。

■見返しの虚子の句

  青林檎旅情慰むべくもなく   深見けん二 『父子唱和』
 (あおりんご りょじょうなぐさむ べくもなく) ふかみ・けんじ

 第1句集『父子唱和』集中の句。昭和22年2月に上野泰、清崎敏郎、湯浅桃邑、真下ますじ等とホトトギス新人会を結成し虚子の指導を受けていた。一方、阪神では波多野爽波等の「春菜会」があり、互いに燃えるように作句したという。掲句は翌昭和23年の夏、虚子が疎開していた小諸虚子庵での稽古会での句。
 句意は、旅先で眺めた青い林檎のように、旅先でのしみじみとした思いも私の気を晴らすことはない、となろうか。
 
 「旅情慰むべくもなく」を、はっきり鑑賞することは難しい。かつて詠んだ時は、小諸の虚子庵で稽古会をしたあと、帰りの汽車の中での虚子先生や仲間と別れる寂しい気持ちであろうかと思った。だが、虚子庵での稽古会での作品である。もしかしたら、「青林檎」か「旅」など兼題であったかもしれない。
 この句は「ホトトギス」雑詠の次席となり、「旅情は侘しい。青い林檎はあるが、それがある為に殊に侘しい。」と虚子評がある。

■「青林檎」夏、第53号より9人の句

  雷は去り残んの雨に夕日影  小圷健水
 (らいはさり のこんのあめに ゆうひかげ) こあくつ・けんすい
  
  散り崩れ見る面影の緋の牡丹  篠原 然
 (ちりくずれ みるおもかげの ひのぼたん) しのはら・しか
  
  夏祓東叡山へまはり道  山田閠子
 (なつばらえ とうえいざんへ まわりみち) やまだ・じゅんこ
  
  蜥蜴走る青を置いてきぼりにして  あらきみほ
 (とかげはしる あおを おいてきぼりにして)

  筍を湯搔く匂ひや皆家居  加藤あけみ
 (たけのこを ゆがくにおいや みないえい) かとう・あけみ
  
  まだ小粒袋の影の青ぶだう  原田桂子
 (まだこつぶ ふくろのかげの あおぶどう) はらだ・けいこ
  
  蛇の髭の花咲く頃の潦  水島直光
 (じゃのひげの はなさくころの にわたずみ) みずしま・なおみつ
  
  遠きほど植田のみどり濃かりけり  阿部怜児
 (とおきほど うえたのみどり こかりけり) あべ・れいじ
  
  一輪の昼顔墓碑の十字架に  桑本螢生
 (いちりんの ひるがおぼひの じゅうじかに) くわもと・けいせい
  
 季刊同人誌「青林檎」は、毎号、メンバー9人が30句を発表している。たとえば夏であれば、詠みためた夏の句から選んだ30句であるが、今やっと「30句を揃える」ことの難しさに気づいた。この「30句を並べて」「1つの世界ができる」日が訪れるであろうか。
 〈九つの面輪それぞれ青林檎 みほ〉