第五百九十一夜 池内友次郎の「梅雨の月」の句

 昨夜6月24日の夜9時の犬の散歩に出ると、いつもの細道の正面にまん丸の月が出ていた。これはもう満月! と思いながら、その後は黒雲に隠れたりまた現れたりする月下のいつものコースをぽくぽく歩いた。
 家に帰って、ネットで調べてみた。本当の満月はいつなのか知りたかった。満月は6月25日とある。だが記事をもう少し読んでみると、6月25日の明け方の午前3時40分ごろに満月になる、とあった。満月の日とは、カレンダーの日付に拠るのであった。
 「今日だって十分に満月の丸さなのに・・」と、文句を言うのはもう止めよう。
 「今日は暦の上の満月、ストロベリームーンというそうよ!」
 
 昨日の雲間の美しい梅雨の月を見ることができてよかった。今日は雲が厚く覆われていたが、先程、黒雲の間に大きな姿を見せはじめている。

 今宵は、「梅雨の月」の作品をみてみよう。

■赤み

 1・梅雨雲は野に垂れ野路の月は金  池内友次郎 『ホトトギス 新歳時記』
 (つゆぐもは のにたれのじの つきはきん) いけのうち・ともじろう

 句意は、梅雨時の雲は低く野に垂れていて、歩いてゆく野道に上がってきた梅雨の月は、明るい黄色ではなく金色を帯びていましたよ、となろう。

 池内友次郎は、高浜虚子の次男で音楽家。フランスに長く留学し、自由闊達な海外詠の先達。梅雨は、日本及び東アジアでみられる特有の気象現象なので、掲句は帰国してからの作品であろう。
 下五の「月は金」といい止めたところが友次郎の感性である。

 2・恐山さだかに梅雨の月赤し  桑田青虎 『桑田青虎句集』
 (おそれざん さだかにつゆの つきあかし) くわた・せいこ

 句意は、青森県下北半島にある恐山からの梅雨の月である。恐山に上がった梅雨の月が赤々と見えましたよ、となろうか。

 恐山は、下北半島(青森県)の中央部に位置する活火山である。カルデラ湖である宇曽利山湖の湖畔には、日本三大霊場の一つである恐山菩提寺が存在する。梅雨の月はどこか赤みを帯びている。しかも恐山というおどろおどろしい名の霊場から眺める月は、「金」では物足りないほどの赤さであったと想像できる。
 作者は、兵庫県生まれ、後藤夜半に師事したホトトギスの俳人。

■澄む

 3・春の月ありしところに梅雨の月  高野素十 『蝸牛俳句文庫26 高野素十』倉田紘文編
 (はるのつき ありしところに つゆのつき) たかの・すじゅう

 句意は、春月の頃に訪れて見上げた月が、再び訪れた時には同じところに梅雨の月がかかっていましたよ、であろう。
 
 句集『雪片』。昭和22年作。素十は昭和7年に新潟医科大学法医学助教授となり、ドイツでの2年間の留学を終えてからはずっと新潟県在住であった。虚子は昭和19年から昭和22年まで小諸に疎開していた。この頃には虚子も新潟の素十を訪ねているが、素十も何かと虚子庵を訪ねていたのではないだろうか。
 倉田紘文先生の鑑賞の、次の1部を紹介させていただく。
 素十は春月のころ1度訪れ、そして再び訪れた折、梅雨の月が庵の同じところに懸かっていた。心の中の春月と今ふり仰ぐ梅雨の月との間に月日が流れ、その再訪の喜びが美しい1句となった。
 
 素十俳句は、時代によって句柄が大きく変化していることはないように思われる。『初鴉』『雪片』『野花集』の3つの句集は昭和22年、27年、28年と続けて出版されて、しかも、重複して入集している作品も多い。年代順ではなくて四季別の構成であるから、作句年は分かり難い。最初は私も、『初鴉』『雪片』の古書を手に入れて読みながら年代順であったら原稿は書きやすいのにと考えたが、そうではなかった。
 素十俳句は、どの句も同じに高邁な気息に満ちており、心は客観写生の描く自然界に籠められ沈められていて、句集全体が1つの美しい詩の別天地であった。客観写生を超えて純客観写生といわれる素十俳句は、1句1句が芸術であり美である。