第五百九十二夜 松尾芭蕉の「青葉若葉」の句

 雑木林の木々を見に、桜が散るころから牛久沼公園に出かけている。初夏、すべての木々は新しい葉に覆われる。これが若葉であり新緑であるが、その小さく柔らかい芽ぶきの薄緑から、少しずつ葉は増えてゆき、やがて軽やかに戦ぎだす。

 6月も終盤となり、いま雑木林はどっしりとした緑となり万緑になってきた。
 
 今宵は「若葉」の作品を見てゆこう。

■松尾芭蕉と高浜虚子

 1・あらたふと青葉若葉の日の光  松尾芭蕉 『おくの細道』
 (あらとうと あおばわかばの ひのひかり) まつお・ばしょう

 句意は、ああ何と尊いことよ、太陽の光の照り返す色というのは木の葉のこんもり茂った姿をこんなにも瑞々しく若々しいものとしているではないか。その日の光を「あらたふと」と、芭蕉は神聖なものの如くに見たのであった。
 
 『おくの細道』に元禄2年4月1日、日光山登拝の作として載っている。真蹟には〈あらたふと木の下闇も日の光〉、曽良の『書留』に〈あなたふと木の下暗も日の光〉とあり、これが推敲されたという。「あらたふと」の「あら」は「ああ」の意。「たふと」は「尊い」である。

 2・山さけてくだけ飛び散り島若葉  高浜虚子 『七百五十句』昭和30年作
 (やまさけて くだけとびちり しまわかば) たかはま・きょし
 
 句意は、熊本県の三角港からフェリーで有明海を渡って島原港へ向かう途中、天草諸島の談合島を通ったが、その島の若葉は殊の外美しかった。虚子は、2百年前の寛永4年に起きた「島原大変肥後大迷惑」の普賢岳の大噴火の大惨事に心を寄せての作品であった。
 
 虚子は、昭和30年5月14日から「ホトトギス」が700号に達した記念の挨拶回りであろう、立子とともに、福岡、熊本、島原、長崎、小倉を巡った。フェリーで島原へ向かう時に詠んだ作品である。

 昨年の令和元年8月初頭に夫の故郷の島原、長崎へ旅行した折に、私は、島原城内に展示されていた虚子の掲句の軸に出合った。さらにその日は、島原市の、ジオと火山の体験ミュージアム「がまだすドーム」の映像で、平成の大噴火とともに1792年(寛政4)に起きた島原大変肥後大迷惑の噴火の様子も知ることができた。
 虚子のこの句が、私にとって忘れられない1句となった。

■芥川龍之介と室生犀星

 3・糸萩の風軟らかに若葉かな  芥川龍之介 『新歳時記』平井照敏編
 (いとはぎの かぜやわらかに わかばかな) あくたがわ・りゅうのすけ

 句意は、糸萩の細く小さな若葉が、そよ吹く風にやわらかく揺れていましたよ、となろうか。

 糸萩は、ミヤギノハギとも呼ばれ、夏萩である。6月中頃に茨城県守谷市の四季の里公園で紫陽花を見に行って、紫陽花の隣に植えられた「萩」の花に出合った。あらっと思った。早くても萩が咲くのは8月くらいであると思っていたから。
 「糸萩」だったかもしれない。葉が細かったかもしれない。花はきりっとした濃いピンクであった。

 4・わらんべの洟もわかばをうつしけり  室生犀星 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (わらんべの はなもわかばを うつしけり  むろう・さいせい
 
 句意は、小さな男の子の垂らしている洟に、若葉が映っていましたよ、となろうか。
 
 「わらんべ」を辞書で引くと、元服前の12歳から15歳まで位の男子とか5、6歳から20歳までの男子とある。「洟」は鼻水のことだから、小さな男の子を想像していた。
 私は昭和20年生まれだが、思い出すと、青っ洟を垂らしていた男の子がいたことを今も覚えている。とても気のいい子で、炭屋の息子で、炭の配達に使う荷車にクラスの子を代わり番こに乗せてくれた。男の子も女の子も、私も乗せてもらった記憶がある。早くに亡くなってしまったが、小学校のクラス会に出席すると、荷車に乗せてもらったことと一緒に青っ洟のことも話題になっていた。
 
 この作品は、青っ洟ではない。若葉が映るのだから。