第五百九十五夜 高浜虚子の「麦笛」の句

 草矢も、草笛や麦笛も、小学校の頃に遊んだ記憶がある。当時住んでいた杉並区は東京でも郊外で、道路がアスファルトになったのは大部後のことで、水田があり麦畑があり、森や林があり、野原があり小川の流れもあった。
 
 子どもの遊びは、こうした自然の中で考えて工夫しなくてはならないことが多かった。花や草や木の実は、女の子のおままごとの食材になった。男の子にとっては、木の実は木の鉄砲の弾となり、木切れはちゃんばらごっこの刀となる。
 草を使うこともある。薄などの細い茎のものは切って裂いて草矢になり、男同士の闘いの武器にもなった。また、女の子をからかったり気を引く道具となることもあった。
 
 草笛や麦笛は、幼い頃に葉を口に当てて吹くと音が出ると知ってからは、メロディを奏でることもできるようになる。青年になり父親になっても、散歩の道々でガールフレンドに吹いてみせることも、子に吹いてみせることもあったと思う。
 
 今宵は、「麦笛」「草笛」「草矢」の作品をみてみよう。
 
■麦笛、草笛:やわらかい草の葉や木の葉を唇に当てて吹くと笛のように鋭い音が出る。
 
 1・麦笛や四十の恋の合図吹く  高浜虚子 『五百句』
 (むぎぶえや しじゅうのこいの あいずふく) たかはま・きょし

 句意は、麦笛を吹いている。これは四十にもなった男の恋の合図ですよ、となろうか。
 
 大正5年の作で、発行所例会の題詠で作られたもの。『五百句』に、同日の句がもう1句〈恋はものの男甚平女紺しぼり〉並んでいる。掲句には『喜壽艶』に、「男は四十代になっている分別盛りである。それが恋にさまようて女に合図の麦笛を吹いた」との虚子の自注がある。『喜壽艶』は、虚子には艶な作品が多いということで、喜寿を記念して77句を収めた。1頁は筆、1頁は自注が付されている。
 明治時代の後半には小説家を目指していた虚子であり、空想力の豊かな虚子であった。

 2・わが鳴らす麦笛びびと手にこたへ  中村汀女 『現代俳句歳時記』角川春樹
 (わがならす むぎぶえびびと てにこたえ) なかむら・ていじょ
 
 句意は、麦笛を鳴らしてみた。すると、わが口から吹いた息が、わが手に持った葉をビビと揺らすではないか、となろうか。
  
 この光景は手にとるように解る。だが中村汀女は、初めて麦笛を鳴らしてみたのだろう。息を吹くと、葉はビビッという音がして、さらに細い麦の葉をもつ両手の指にもビビッという響きが伝わってきた。下五の「手にこたへ」は「手に応へ」であろう。この下五から、中村汀女の驚きの気持ちが言葉となって正確に伝わってきた。

■草矢:薄、茅(かや)、葦(あし)など、細い葉を裂いて指にはさみ、矢のように飛ばす。

 3・日を射よと草矢もつ子をそゝのかす  橋本多佳子 『現代俳句歳時記』角川春樹
 (ひをいよと くさやもつこを そそのかす) はしもと・たかこ
  
 4・大空は微笑みてあり草矢放つ  波多野爽波 『現代歳時記』成星出版
 (おおぞらは ほほえみてあり くさやはなつ) はたの・そうは

 3句目、草矢遊びをしているところへ通りかかった橋本多佳子は、しばらく眺め、そして言った。「ねえ、あの太陽を目掛けて草矢を打ってみたらどうかしら」と、そそのかしてみましたよ、となろうか。
 4句目の波多野爽波の作品は、橋本多佳子の作品の気持ちに応えているかのようだ。「日を射よ」と唆された子が太陽を見上げると、その太陽はにっこり微笑んでいるように見えたではないか。
 子は、嬉しくなって勇んで、遥かなる太陽に向けて草矢を放った。

 3句目と4句目の作品に出合ったとき、ああ、こうした偶然もあるのだと思った。