第五百九十六夜 深見けん二の「茅の輪」の句

 6月30日は夏越の祓の日。深見けん二先生の龍子奥様は何かの折に、可愛らしいプレゼントをくださる。その1つに茅の輪の置物があった。
 プロテスタント育ちということもあって、私は仏教にかなり疎いのだが、俳句を志すのであれば日本の文化としても知っておくことは大切である。
 よく知らない世界であった「夏祓」「茅の輪」「形代」の作品にふれるたびに、心が引き締まる思いがしていた。けん二先生はご夫婦で参加していらっしゃるのであろう。「花鳥来」誌上で、毎年のように作品を拝見していた。神社や寺社のある吟行では、先生は、先ず手を合わせてから吟行に集中していたようだ。
 少しずつわかりかけてきた時、赤坂の日枝神社に出かけて、私も夏祓の茅の輪くぐりを初体験した。
 
 今宵は、「夏祓(なつばらえ)」「夏越の祓(なごしのはらえ)」「茅の輪(ちのわ)」「形代(かたしろ)」の作品の、この行事で行われる1つ1つを、『深見けん二俳句集成』から紹介させていただこう。
 
■茅の輪
 
 1・降り出して茅の輪の映る石畳  深見けん二 『花鳥来』
 (ふりだして ちのわのうつる いしだたみ)

 2・本殿を閉ぢ月のある茅の輪かな  『日月』
 (ほんでんを とじつきのある ちのわかな)
  
 3・一蝶の現れくぐる茅の輪かな  『日月』
 (いっちょうの あらわれくぐる ちのわかな)

 1句目、夏祓の神社に行ったときのこと。長い石段の途中から雨が降り出した。境内に着くと、手入れのよい石畳は雨に濡れて鏡のようになっていて、茅の輪がくっきりと石に映し出されていた。
 2句目、本殿は閉じていても、夜も境内に入ることはできる。訪れた誰もが茅の輪くぐりをすることができる。月夜であることが雰囲気を醸し出している。
 3句目、偶然なのであろうが、こうした光景に出合えることがけん二先生の「授かる」という幸運なのである。毎日、外に出て見ることを続けているからこそ、向こう側からも歩み寄ってくれる僥倖であり、「授かる」なのだと思う。

■形代:人形(ひとがた)ともいう。

 4・形代の白こそ男の子我の手に  『水影』
 (かたしろの しろこそおのこ われのてに)
  
 5・形代の黄はをみなとぞ妻の手に 『水影』
 (かたしろの きはおみなとぞ つまのてに)

 6・形代や鹿島の沖の波のむた  『菫濃く』
 (かたしろや かしまのおきの なみのむた)

 形代とは、紙で人形をくりぬいたもので、これを流して災いを除いた。古くは陰陽師(おんみょうじ)がこれをつくり、流したり焼いたりして災いを防止した。今日、神社で6月の大祓(おおはらえ)の前に、氏子の家に人形(ひとがた)を配り、それに氏名・年齢を書いて宮に納めると、神職が祓(はらい)をして流し、災いを避けるという。
 
 4句目、紙で作る形代は白が多いが、神社に行くと、男性には白い形代を渡してくれる。
 5句目、形代の黄というのは、少し黄ばんだような色合いの紙でつくられたものであろうか、女性に渡してくれる。
 この2句は対になっている。けん二先生と龍子奥様とご一緒に夏祓に神社で渡された形代で、微妙に色合いが異なっていたのであろう。白をもらった先生は「白こそ男の子」と詠んだ。白というのは、ルールを守るという願い事が叶う色で、一家の主の色。奥様の手にした形代の黄は、人間関係に関する願い事が叶う色とされている。
 夫の白と妻の黄、2つ揃って願い事はよき方へと叶うのだ。
 
 6句目、「波のむた」とは、「波のままに」ということ。ある年、茨城県鹿島神宮で行われた夏祓に参加された折の作品であろう。お祓いを終えて鹿島灘へ流すと、形代は鹿島の沖の波のまにまに揺蕩いながら、いつかしら遠くへ行ってしまった、となろうか。

■夏祓

 7・宮司様ともどもに老い夏祓  『菫濃く』
 (ぐうじさま ともどもにおい なつばらえ)
  
 7句目、毎年のように同じ神社に行かれていると、神社の宮司ともすっかり仲良く話し込まれるのが目に見えるようで、「宮司様」「ともどもに老い」から話し声まで聞こえてきそうである。