第六十一夜 西村和子の「風邪」の句

  脇僧の風邪気味にておはしけり  西村和子
 
 西村和子(にしむらかずこ)は、昭和二十三(1948)年、横浜市生まれ。慶應義塾大学に入学と同時に「慶大俳句」に入会し、清崎敏郎に師事。翌年清崎主宰の「若葉」に投句を始める。現在、「慶大俳句」からの句友の行方克巳とともに創刊した「知音」の二人代表の一人。
 蝸牛社刊の俳句・背景シリーズ『春秋譜』から二句を紹介する。

 掲句を鑑賞してみよう。
 
 中七は「風邪気味(ふうじゃぎみ)にて」と読む。季題は冬で「風邪」。
 能楽では、シテが主役でとワキがその相手役。シテはおもに面をつけて現われ、神や精霊、亡霊、鬼など、この世の者ではない役柄とされる演目も多い。一方、ワキは、旅の僧や神官、武士など、この世で実際に生きている大人の男性として設定されていて面はつけていない。
 このとき作者の観たのは京都の古寺で行われた観世流によるサロン風の座敷能だったというから観客は数十人ほどか。演目は「葵の上」。明かりは廊下の紙燭と柱に掛けられた燭台のみ。寺の入口から置行灯に導かれて座敷に入り演者を間近にする。シテは源氏の正妻・葵の上を嫉妬する六条御息所に憑いた生霊。ワキは生霊を払う小聖。この日のワキの小聖(脇僧)は風邪声のようだ。
 このワキの風邪声で見事に払うことのできた六条御息所の生霊は、千年も昔の長い廊下の果に消えて行った、と作者はみた。
 観客の目の前で演じるから、咳ひとつ声の変化ひとつが見えるところが能の面白さだ。小鼓方は鼓の革を何度も舐め音の調子を整える。詞章も難しくて、下調べをしていかないと解らないことが多い。
 だがこうして俳句作品に、風邪を「ふうじゃ」と詠み込むと、お能特有のゆったりした一連の調べとなるから不思議である。
 
 もう一句は動物園での作品。

  ゴリラごろ寝春待つでなく拗ねるでなく

 冬の終わり頃の動物園。作者は、春を感じたくて出かけたのだろうが、当のゴリラは悠然とごろ寝をしている。ゴリラは、何をしていても、ともかく立派な佇まいをしている。見に出かけた私は、ちょっと惚れ惚れしそうになったことがある。
 作者のゴリラに対する見方がいいなと思った。ともかく自然体で〈できている〉ゴリラなのだ。