第六十二夜 坪内稔典の「お正月」の句

  老犬をまたいで外へお正月  坪内稔典
 
 坪内稔典(つぼうちとしのり)は、昭和十九(1944)年、愛媛県伊万町生まれ。俳号「ネンテン」。高校時代から投句し、伊丹三樹彦の「青玄」に学ぶ。現在は「船団の会」代表。国文学者。研究者としての専門は日本近代文学で、『正岡子規―俳句の出立』など、特に正岡子規に関する著作・論考が多い。
 ここでは、蝸牛社刊の俳句・背景シリーズ『縮む母』より二句紹介する。
 
 掲句を鑑賞してみよう。
 
 老犬であるところがいい。わが家は黒いラブラドールレトリバーの四頭目だが、それぞれの犬の晩年の姿がよみがえるようだ。
 子犬の頃のやんちゃ振りと煩くつきまとっていた時期が嘘のように、飼主に安心しきっている姿だ。だが、中七の「またいで外へ」の表現は、やっぱり構ってほしい老犬の心の内なのである。ネンテンさんは、玄関を開けると「とおせんぼ」している犬に声をかけ、それでも動こうとしない愛犬を、遂にまたいで出かけて行ったのであろう。
 お正月のゆっくりした雰囲気も感じられる作品である。
 
 ネンテンさんの作品は、〈せりなずなごぎょうはこべら母縮む〉〈たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ〉などのように、いちど読者に句のリズムが入り込むや、ずうっと頭のなかに居座って去らないものが多い。意味を持たせない作品――あるいは簡単には近寄らせない作品に、捉えられてしまうのはちょっと悔しい気もするのだが、この手法もぜひ身につけたい技である。
 もう一句、紹介させていただく。
 
  ふくろうの闇ふくろうのすわる闇  坪内稔典
 
 今日は、茨城県立自然博物館で「宮沢賢治展」を観た。剥製の中に、フクロウもミミズクもいた。フクロウはかなり大きかった。夜行性で夜の闇の中で捕食するから、獲物が現れるまで木の枝にじっとすわって獲物を待つ闇がある。肉食だと感じさせないのは、平仮名書きの「ふくろう」のやわらかさと、姿を見せない「闇」の力だろうか。