第六百四夜 松本たかしの「桜貝」の句

 真夏の浜辺ではなく、たとえば5月の頃の浜辺へ行くと、私たち以外には人っ子一人いないことがある。ドライブも早朝に目的地に着くように走るので、まだ誰も踏んでいない砂浜を歩くことになる。
 
 フランスの詩人ジャン・コクトーを思い出した。
  〈私の耳は貝の殻海の響きを懐かしむ〉
 
 よく覚えている! 長い詩の1部だろうと思っていたが一行詩であった。それで十分だ。その後に続くであろう詩情は、貝の殻が教えてくれる。
 春から初夏の浜には、踏まれて壊れたりしていない貝殻が砂に転がっている。打ち寄せられたままの形である。ちいさな桜貝はやわらかなピンク色だ。懐紙やハンカチに包んで持ち帰る。用意のいい人はガラス瓶に入れて持ち帰る。
 
 大きめの耳たぶほどの巻貝があれば、忽ちジャン・コクトーの世界に入ることができる。

 今宵は、春の季題「桜貝」「子安貝」などの作品をみてみよう。

■桜貝

 1・引く波の跡美しや桜貝  松本たかし 『新歳時記』平井照敏編
 (ひくなみの あとうつくしや さくらがい) まつもと・たかし

 2・遠浅の水清ければ桜貝  上田五千石 『蝸牛 新季寄せ』
 (とおあさの みずきよければ さくらがい) うえだ・ごせんごく

 3・波の舌ちさき渚や桜貝  黒田紫陽子 『蝸牛 新季寄せ』
 (なみのした ちさきなぎさや さくらがい) くろだ・よしこ

 大学時代、アドグル(アドバイザー・グループ)という教員を囲んでの年2回の1泊旅行をする会があって、金沢半島の中程の美しい海岸を訪れたことがあった。遠浅の海は静かで、なによりも砂浜の滑らかさを思い出している。じっと砂浜を見ていると、薄いピンク色の小さな貝が落ちていた。拾った貝をつぶさないようにと手のひらは開いたまま。ハンケチに包み、買ったお土産の中身を出して、貝を入れて家まで無事に持ち帰った。桜貝は二枚貝だが、ほとんどが貝殻だけになっていた。
 1句目、遠浅なので、寄せる波も引く波もしずかで、とくに、引く波にさらさらと砂が運ばれてゆく浜は美しい。
 2句目、そうなんだ。遠浅で、水が清らかで、砂が小さく粒揃いの浜辺だから、桜貝も打ち寄せられているのだろう。
 3句目、遠浅の渚に寄せる波の先は、ちろちろと小さな舌のようでもあると、豊かな感性の黒田紫陽子さんは捉えた。

 浅い海にいる二枚貝。波の引いた砂浜に打ち上げられた貝殻の中に桜の花びらに似て薄桃色に透き通った貝殻があるが、それが桜貝である。貝細工に用いられる。

■子安貝

 4・子安貝少女の手にもをさまりぬ  後藤比奈夫 『めんない千鳥』
 (こやすがい しょうじょのてにも おさまりぬ) ごとう・ひなお

 5・子安貝海女の授乳のおほらかに  金井文子 『蝸牛 新季寄せ』
 (こやすがい あまのじゅにゅうの おおらかに) かない・ふみこ

 4句目、子安貝は卵のような形をしてつるつるしているのが多いからか、少女が手に持っても、手のひらに収まっている。
 5句目、子安貝という名から、子育てとか母のやさしさなどの作品と配合されることが多い。下五の「おほらかに」は、海女は水着1枚でいることが多く、授乳の際には片肌脱ぎとなったり、肌を見られることに無頓着かもしれない。そこが「おほらかに」であろう。

 タカラガイの貝殻は陶磁器のような滑らかな表面と光沢を持つ。安産のお守りとされた。