第六百六夜 深見けん二の「四万六千日」の句

 7月の9日、10日は東京浅草観音の縁日で、境内に青鬼灯を商う市が立つ。これが鬼灯市で、買い求めた鬼灯の鉢を提げて歩く風情は捨てがたい。この日にお参りすると一日で四万六千日分の御利益があるといい、参詣人で賑わう。
 元は千日詣りといい、本来はこの日に参詣すると 1000日参詣したのと同じ功徳が得られるとされていた享保年間(1716~36)頃から、4万6000日参詣したのと同じ功徳(御利益)があるとされ,「四万六千日」と呼ぶようになった。
 
 4万6000日は、膨大な年月のように感じていたが、計算してみると126年ほどである。人の寿命の限界の年月である。昔から、健康で人生を全うしたいと願う人民の心を纏めるために、様々な工夫がされてきたことを感じた。「鬼灯(ほおずき)」と「四万六千日」の意味も考えてみたいと思った。
 コロナ禍の影響で、去年に引き続き、今年の「ほおずき市」も中止となった。
 
 今宵は、季題「四万六千日」「青鬼灯」の作品を考えてみよう。

■四万六千日

 1・ふところにふところに四万六千日の風  深見けん二 『花鳥来』
 (ふところに しまんろくせんにちのかぜ) ふかみ・けんじ

 2・残んの身四万六千日詣  深見けん二 『日月』
 (のこんのみ しまんろくせにちもうで) ふかみ・けんじ
  
 1句目、浅草浅草寺に参拝して、御札を貰い、鬼灯の鉢を買っての帰り道、ふところに四万六千日の風を孕ませて、爽やかな気持ちでいる姿が見えるようだ。鬼灯は、ふっくらした形から風を孕むことができ、赤い炎の色合いから道に迷わないための提灯に見立てられる。
 2句目、四万六千日詣をした深見けん二先生は、この句を詠んだ平成12年は78歳。四万六千日詣をすれば126年は生きる可能性があることを考えると、残りの人生は50年もある。「残んの身」と詠んだ先生は、この頃から俳句界という外の世界へ弾けるように活躍が始まった。第5句集『余光』の余光とは「おかげ」という気持ちを込めた言葉ですよ、と、お聞きしたことがあったと思う。
 
■酸漿市(鬼灯市)
 
 3・夫婦らし酸漿市の帰りらし  高浜虚子 『ホトトギス 新歳時記』
 (ふうふらし ほおずきいちの かえりらし) たかはま・きょし
 
 3句目、すれ違った2人は酸漿市へ行った帰りのようだ。ほおずきの鉢をぶらぶら提げているのはご主人で、ご夫婦なのであろうか。 「酸漿市」の紹介する作品を選びながら、虚子の作品であることはわかっていたが一旦は通り過ぎた句であった。虚子と夫婦の、すれ違いざまの把握の2点は、光景を17文字にする不可欠の要素であった。しかも「夫婦らし」「酸漿市の帰りらし」と、判断した結果を断定してはいないところに大人の艶な粋な計らいがある。

■青鬼灯

 4・青鬼灯形づくりてひそかなる  大橋越央子 『ホトトギス 新歳時記』
 (あおほおずき かたちづくりて 密かなる) おおはし・えつおうし
 
 5・うかゞへば青鬼灯の太りかな 高浜虚子 『ホトトギス 新歳時記』
 (うかがえば あおほおずきの ふとりかな) たかはま・きょし
 
 4句目、鬼灯の花は白い小さな花である。花はやがて小さな袋に入った実となる。青い葉の陰に垂れているのが、まだ色づかない夏の鬼灯で、どこか密やかな感じがする。
 5句目、「うかがう」は「伺う」で、立ち寄って青鬼灯の袋の中の実は大きく膨らんできたかな、と様子を見ることである。青い袋の膨らみ具合で「青鬼灯の太り」のほどが解る。
 
 鬼灯はもともと、薬草として東京都港区にある愛宕神社の千日参りの縁日で売られていた。ホオズキを煎じてのむと、子どものかんの虫や女性の癪(しゃく)によく効くと言われており、これを参拝土産に持ち帰るのが通例だったという。
 お盆が終わると、お盆の間に、ご先祖様が身を宿して過ごした鬼灯をどのように片付けるか迷う。鬼灯は白い紙に包んで、塩で清めてから処分するとか、お寺でお焚き上げをしていただくなどがある。基本は丁寧に扱うことであろう。