第六百七夜 皿井旭川の「蜘蛛のいきどおり」の句

 今日の午後、茨城県南部から千葉県北西部にかけて、激しい雷、雷光、豪雨が2時間ほどつづいたろうか。やりかけていた仕事は中断しテレビも消して、夫も私も、東南側から西側の窓のカーテンを全開にして、眺めていた。犬のノエルは玄関の廊下にいてじっとしている。途中で1度、停電になったが、数秒で復活した。
 昔は一旦停電になると東京電力に電話をして、復活するまで待っていたものだ。夜は不自由な思いもしたが、いつも祖母の布団にもぐりこんでいた。
 
 嵐が去ると、空の汚れがとれてしまったように美しい。あちこちから、犬の散歩組が出てくる。「おたくのワンちゃん、雷を怖がったりしませんでしたか?」「うちは、怖がって鳴いて・・」「うちは、へっちゃら!」
 夜の散歩は、昼間よりもさらに素晴らしいかった。漆黒というか濃紺というか、広い円穹には星が出て、白い雲が浮かんでいて、蜘蛛の巣にも出会った。地面を嗅ぎ回っている犬の性にあわれを感じてしまった。
 散歩コースにあるレストランの駐車場の端の電信柱に、毎年、大きな蜘蛛が網を張る。見事な網の一角に大蜘蛛はじっと待っているが、ついに獲物を捕まえる瞬間を見ることなく、ある日撤去されていた。
 なんだか、割に合わない労働者かもしれないな、と蜘蛛にもあわれを感じてしまった。同病相憐れむかなあ、と。

 今宵は、「蜘蛛」の句を紹介してみよう。

■怒り

 1・己が囲をゆすりて蜘蛛のいきどほり  皿井旭川 『ホトトギス 新歳時記』
 (おのがいを ゆすりてくもの いきどおり)部 さらい・きょくせん

 掲句は、折角網にやってきた獲物なのに、まんまと逃げられてしまった。この悔しさは蜘蛛でなくてはわかるまい。銀の糸を我が身から繰り出し、何時間もかかって、きめ細かい網目の囲を仕上げたのに、逃げられたのだ。蜘蛛は地団駄を踏むごとく「己が囲」をゆすって怒りを爆発させている。
 このように、怒りを発散させている蜘蛛など、じつは、見たことがない。皿井旭川の蜘蛛に成り代わっての怒りではないだろうか。

 蜘蛛は、いつ見かけても蜘蛛の囲を作りつづけていて、この網にかかってくれる獲物を待ちつづけている。いつも上手くいくわけではない。網を破って逃げられることもある。次の日通りかかると、蜘蛛の囲はちゃんと出来上がっている。

■宿命

 2・蜘蛛に生まれ網をかけねばならぬかな  高浜虚子 『七百五十句』
 (くもにうまれ あみをかけねば ならぬかな) たかはま・きょし
 
 虚子は、「ホトトギス」昭和27年10月号に「蜘蛛」という写生文を書いている。その庭を散歩している時の蜘蛛の箇所を抜粋して紹介してみよう。
 「然し此の蜘蛛の網はどうも不愉快だ。昨日払ひのけた所に今日も網をかけてをる。(略)最後にはステッキをのべて此の囲をも破ってしまつた。網はバリバリと音がして破れてしまつた。(略)
 何故に草木や他の虫の類には寛容であつて、ひとり蜘蛛のみに残酷に当たるかを蜘蛛は不審に思つてゐるかもしれない。此の世界に各々生を営んでゐるものにとつては、平等に自由であるべき筈なのに、何故に蜘蛛にのみ同情がないのかと思つてゐるかもしれない。」
 
 句意は、蜘蛛として生まれたからには、網をかけることが習性であり宿命である、さて網をかけるとしようか、となろう。
 
 昭和27年夏の稽古会は山中湖で行われ、その山中湖から虚子が立子へ出した通信に、「杞陽来。文章談。余を蜘蛛のやうだといふ。起り来ることを待つてをるといふ意味。」と書いてあったとある。杞陽とは京極杞陽のこと。
 日々、句を作り、よい選をして俳句界をリードすることが俳人・虚子の仕事である。
 虚子が獲物を待っているようだというのは、奇しくも虚子の来し方を彷彿させる。杞陽が言い当てたように、「起り来ることを待つてをる」姿のようでもあった。
 大正2年、虚子が「ホトトギス」を継承して俳壇復帰をした時、昭和3年、「花鳥諷詠」と「客観写生」を唱えた時など、こうした重大なことを決めるにあたって、虚子はいつでも、時期が充分に熟すのを待って成し遂げた。

 そこに虚子自身の宿命、さらに人間の宿命を見る思いがした。