ソーダ水やラムネは大正時代には既に飲まれていたという。コーラが若者の飲み物として最初に現れたのは、戦前のアメリカ合衆国であったが、日本では、昭和35年(1960)」の頃にコカ・コーラブームがはじまったという。昭和20年、戦後生まれの私が、コカ・コーラを知ったのは、今も1番の仲良しの祥子さんが、大学1年の昼休みに美味しそうに飲んでいるのを真似したことに始まっている。
家庭で飲むものではなく、銀座などお洒落な喫茶店で、ちょっと大人ぶって飲んでいたことを覚えている。何しろ、甘い飲み物ではなくカフェインも入っているので、最初は飲みづらかった。
炭酸水を飲み込むのは、炭酸ガスも飲み込むのでゲップが出る。こうした炭酸ののど越しも楽しめるようになったのは、もっと後のようである。
一方、ソーダ水やラムネやサイダーは、砂糖が入っていてフルーツの香り付けがあって、飲みやすい。ソーダ水などは、アイスクリームやフルーツと組み合わせてパフェとなることもある。
こうした炭酸系の飲み物は、爆発的に若者たちから広がったものと思っている。
令和3年の現代、新しい飲み物に何があるだろうと考えたとき、ソーダ水とコーラのバリエーションばかりである。戦後に日本に入ってから70年近く、この間に、全く異なるドリンクは生み出されていなかったのだろうか。それとも、新製品を作っても作っても、ソーダ水とコーラに弾かれてしまうのであろうか。
ソーダ水は、大正時代に季語としてつかわれるようになっているが、コーラは季語にはなっていないが、そのうち夏の季語になる気配もしている。
今でも、ソーダ水とサイダーの区別は、味では区別ができなくて、瓶の表示でしかわからない。ラムネは瓶の中にガラス玉が入っているので見ればわかる。味の区別で言えば、コーラはコーラの実から採れたエキスを使用したことが始まりなので、味からも、別種のごとく独特と言えようか。
今宵は、「ソーダ水」と「サイダー」の作品を見てみよう。
■ソーダ水
1・ソーダ水話のこりのあるやうな 下田実花 『現代俳句歳時記』角川春樹編
(ソーダすい はなしのこりの あるような) しもだ・じっか
句意は、友と一緒にソーダ水を飲みながら話し込んでいた。ずいぶん長くお喋りをしていたように思うが、ソーダ水もまだ少し残っているし、もっと話し足りないことがあるような気がしていますよ、ということだろうか。実花さんは、それを「話のこり」という表現にした。ソーダ水の残りと話のこり、二つとももう少しのこっているのだ。
2・一生の楽しきころのソーダ水 富安風生 『新歳時記』平井照敏編
(いっしょうの たのしきころの ソーダすい) とみやす・ふうせい
「一生の楽しきころ」と「ソーダ水」が響き合っている。思い起こせば、楽しきころは、必ずしも全てが上手く行ったということではなく、たとえ上手く行かない時があったとしても、必ず再びチャレンジする不屈さを持った人生の中の時代のことを指しているのだと思う。まだ若く、ソーダ水もよく飲んでは前を向いて行く若き時代であるとも言えようか。
■サイダー
3・サイダー売一日海に背をむけて 波止影男 『現代俳句歳時記』角川春樹編
(さいだーうり いちにちうみに せをむけて) はし・かげお
浜辺でサイダー売りをしている人は、「冷たいサイダーはいかがですか!」と声をかけているが、砂浜で海に向かって寝転んでいるのは遊びにきた人である。サイダー売りはひたすら海に背を向けて、お客の方を向いて声をかけている。
波止影男(はし・かげお)は、新興俳句弾圧事件に巻き込まれた。これは、1940年から1943年の間に行なわれた、治安維持法に基づく、新興俳句の俳句誌・俳人に対する一連の言論弾圧事件のことであり「京大俳句事件」ともいう。井上白文、平畑静塔、波止影男もその1人であった。
炭酸系の飲み物はコーラを逃すわけにはいかないが、季題になってはいないので、例句がないためである。