第六百九夜 福田蓼汀の「ダリア大輪」の句

 新宿京王ホテルで、友人と展覧会を観た後のホテル内をぶらぶら歩きながらフラワーショップを覗いた時、ダリアに出合った。今まで一度も見たことがないほどの、大きな大きな白いダリアであった。それ以来、花束を差し上げる時には、大きなダリアを入れたくて探してみるが、子どもの顔ほどのサイズのダリアに出合ったことはない。
 でも、白いダリアをメインの花束は、ときには薔薇よりも豪華に思うことがある。
 
 ダリアは、18世紀にメキシコからヨーロッパのスペインにもたらされヨーロッパに広がり、その後、江戸時代の1842年(天保13)にオランダから日本にダリアの球根が入ってきた。原産地がメキシコなので暑さには弱い花である。
 
 今宵は、「ダリア」又は「ダリヤ」の作品を紹介しよう。
 
■過去へ

 1・ダリア大輪ルヰ王朝に美女ありき  福田蓼汀 『新歳時記』平井照敏編
 (ダリアたいりん ルイおうちょうに 美女ありき) ふくだ・りょうてい

 句意は、フランスのルイ王朝はどの王にも後世にのこる美しい婦人や愛人がいた。まさに大輪のダリアのようですよ、となろうか。
 
 フランス国王ルイ15世には、有名な愛妾ポンパドール婦人がいたし、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットは、隣国のオーストリアのマリア・テレジアの娘であった。
 ルイ王朝は、ブルボン王朝の別名であるが、ルイ13世以来ルイの名が多かったことから、文化史ではルイ王朝と言われるようになったという。
 実在のマリーアントワネットも美しい王妃で恋物語があったが、池田理代子作の漫画『ベルサイユのばら』全10巻と別巻によって、漫画世代を越えて多くの女性たちがマリー・アントワネットと架空の人物のオスカルとの恋物語を知ることになった。
 この作品の季語「ダリア」を「ダリア大輪」とししたことで、ルヰ王朝の美女たちが、燦然と耀くように思われる。
 
 福田蓼汀は、高浜虚子門に入り「ホトトギス」同人。昭和23年m「山火」を創刊主宰。登山家。

■未来へ

 2・千万年後の恋人へダリヤ剪る  三橋鷹女 『白骨』
 (せんまんねんごの こいびとへ ダリヤきる) みつはし・たかじょ

 句意は、一千万年後の恋人に、いま、私はダリヤの花を剪っているのですよ、となるだろう。
 
 一千万年前には人間は存在していたか、人類の誕生はおよそ700万年前と言われている。アフリカで人類の始まりとされるホモ・サピエンスの存在は、約20万年前と言われている。「千万年」は人類が誕生して以来の年月よりも遥かに長い未来の時である。
 地球の外に目を向けると、億光年という単位で距離を示す広大な星々の宇宙が広がっているが、今見ているその輝きは、億光年前の輝きということになる。
 
 三橋鷹女の俳句には強烈に惹かれる。たとえば、〈老いながら椿となつて踊りけり〉の「椿となつて」の箇所もそうである。重層的な作品だと思うので、句の表面には見えない奥がある筈だ。
 恋人へダリヤを剪っている。目の前には恋人はいない。はるかな千万年後にダリヤを眺める未来の恋人のために、生き生きした美しいダリヤの花を「今」捧げるというのだろうか。
 もしかしたら、鷹女が千万年後に見てもらいたいのは、自身の詠んだ俳句かもしれない。鷹女の俳句が詠まれて未だ60年ほどだが、現代の俳人でも詠めない作品である。千万年後にあっても斬新な作品であろう。

■妻へ

 3・妻不撓不屈のダリヤ咲きふゆる  古舘曹人  『新歳時記』平井照敏編
 (つまふとう ふくつのダリヤ さきふゆる) ふるたち・そうじん
    
 句意は、わが妻は困難に出合ってもひるまない、庭に咲いているダリヤも何があっても屈せずという風で、どんどん咲き増えていっていますよ、となろうか。
 
 古舘曹人氏は、「不撓不屈」という熟語を上手く使い、上五の「妻不撓」で切れ、「不屈のダリヤ咲きふゆる」と二句一章の作品に仕上げた。女は強い、母は強い、妻はなお強い。どんなことがあっても負けることはできないのが妻であろうか。