第六百十一夜 角川源義の「出雲の雷」の句

 今日7月16日は、関東地方でも梅雨明け宣言となった。なかなかの荒梅雨で、豪雨、雷雨、雷光と、激しい天候であったが、いつまで続くのかなあ、と思っていたら、「梅雨明け宣言が出たー!」
 
 今宵は、季題「雷」の作品を見てゆこう。

 1・八雲立つ出雲は雷のおびただし  角川源義 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (やぐもたつ いずもはらいの おびただし) かどかわ・げんよし

 句意は、雲の幾重にも棚引くようにかかっている出雲の国に、いま、次から次へと雷が鳴り渡っていますよ、となろうか。
 
 日本で最初につくられた和歌がこの「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」であり、「八雲立つ」は次の「出雲」にかかる枕詞なのであるから、句は、中七下五の「出雲は雷のおびただし」といの内容である。
 しかし「八雲」「出雲」と「雲」を重ねてゆく調べによって、この出雲の地の広大さが見え、雷がこの広大な天地を駆け巡っている雄大さが見えてくるから、じつに不思議だが必須の調べなのである。

 2・夜の雲のみづみづしさや雷のあと  原 石鼎 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (よのくもの みずみずしさや らいのあと) はら・せきてい

 句意は、雷雨の激しさが去った日の夜は、雲は白く、空は深く、漆黒に近い青で、月も星々も洗いたてのごとくにつやつやと輝いていますよ、となろうか。
 
 数日前から、昼間も夜も雷雨が激しい時間帯があったが、夜の9時過ぎの犬の散歩に出ると、黒雲に覆われた空と晴れ渡った空とがくっきりと分かれていて、雲のない夜空には、月や一等星がピカピカに輝いているではないか。
 犬が、地面を嗅ぎ回るばかりで、こんなにも美しい夜空を仰げないことが哀れであった。

 3・はたゝ神過ぎし匂ひの朴に満つ  川端茅舎 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (はたたがみ すぎしにおいの ほおにみつ) かわばた・ぼうしゃ

 句意は、鳴り轟く雷が過ぎると、雷が去ったあとの独特な匂いが朴の花に満ちているようでしたよ、となろうか。
 
 昭和6年に脊椎カリエスのため入院していた茅舎は、退院してからは、兄川端龍子の庇護のもとで殆ど病臥の日々であった。ベッドから窓越しに見える位置には、父寿山堂が、大好きな朴の木を植えてくれていた。父が植えてくれた朴の木は、8年目にして初めて白い花を付けた。朴の木は高木だから、朴の花はちょうど見上げた空の位置に咲いていたことだろう。
 ある日のこと、雷が轟くように鳴り、雷が過ぎた瞬間に、朴の花の匂いがふわーっ茅舎に届いた。
 昭和16年のある日、一部始終を見ていた茅舎のベッドの視界から花が消えていた。花は命を終えてしまったのだろうか。
 「朴散華即ちしれぬ行方かな」は、毎日眺めた朴の花の句である。