第六百十二夜 高野素十の「てんたう虫」の句

 てんとう虫を天道虫と表記するが、「天道とは太陽や天の神、天の道、天の理」などの意味があり、てんとう虫は太陽神の使いとして、これから起こる幸運など天からのメッセージを運ぶために、目の前に現れたりすることがあるいう。
 子どもから大人までよく知られている天道虫は、『てんとうむしのてんてんちゃん』『ごきげんななめのてんとうむし』などの絵本の主人公であり、漫画映画の主人公の友だちであったりする。50年ほど前には、チェリッシュというグループの、軽やかなサンバのリズムにのった『てんとう虫のサンバ』という唄が流行った。
 
 野原や林などで見かけることがあるが、捕まえて手のひらに置いても、直ぐには逃げたりはしない。可愛らしい姿で手の上を歩いている。小珠を半分にしたような円形や楕円形で、表面には光沢があり、黒や赤や黄色や白の斑点がある。飛ぶ時には翅鞘を割って、中の薄い翅を出す。
 斑紋の色や形によって天道虫は、「ナナホシテントウ」などの名をもっている。ほとんどの天道虫は益虫だが、「てんとうむしだまし」という名の、害虫もいて、茄子や馬鈴薯の葉を食いちぎる害虫もいる。
 だが天道虫は、翅の文様の美しさが、天体を表しているかのような不思議さと相まって、神秘的な想いを抱かせてくれるのかもしれない。
  
 今宵は、季語「天道虫」の俳句を見てみよう。
 
■天道虫、てんと虫、てんたう虫

 1・翅割つててんたう虫の飛びいづる  高野素十 『初鴉』昭和8年作
 (はねわって てんとうむしの とびいずる) たかの・すじゅう
  
 句意は、てんとう虫が背中の翅を二つにぱっと割って開くや、そのまますっと飛んでいきましたよ、となろうか。
 
 天道虫を凝視して、じつに丁寧に、1点の曇りもないレンズを通してそのまま再現したかのごとき描写である。つねに客観的ということを心がけていた素十を「純客観的」であると見た弟子の倉田紘文は、「素十の自然への畏敬の念が1つの思想として浮かび上がってくる」と、『高野素十「初鴉」全評釈』で述べている。
 清崎敏郎は『現代俳句評釈』のなかで、「一見無表情、無味乾燥のように見えるが、そうではない。よほどの精神の緊張がなければ、こうきっさき短く、単純化はなしえない」と、述べている。

 2・てんと虫一兵われの死なざりし  安住 敦 『古暦』
 (てんとむし いっぺいわれの しなざりし) あずみ・あつし
 
 句意は、てんと虫のごとき一兵卒に過ぎない私だけれども死なずに生き残りましたよ、となろうか。
 
 安住敦は、第二次世界大戦で、召集令状1枚で戦争にとられていった軍隊。そこでは虫けらのように扱われ、滅私奉公するまで鍛え抜かれた。大勢の仲間が再び故国にもどることが叶わなかったが、不思議にも星1つの一兵卒の安住敦は生き残ったのだ。
 季語「てんと虫」には「ホシ」があり、「フタモンクロテントウ」「ヨツボシテントウ」「ナナホシテントウ」などホシの数で名が決まっている。軍隊も「星1つ」「星2つ」と一等兵、二等兵の徽章がある。
 掲句には「一兵」としか詠まれていないが、二等兵のように読み取れる。

 3・天道虫天の密書を翅裏に  三橋鷹女 『新歳時記』平井照敏編
 (てんとむし てんのみっしょを はねうらに) みつはし・たかじょ
  
 句意は、天道虫は、天の使いとして背の翅裏に密書を隠しもっていますよ、となろうか。
 
 天道虫は、「天道とは太陽や天の神、天の道、天の理」の意味があり、太陽神の使いであるとも言われる虫である。
 「天の密書」とは、太陽神の使いである天道虫が、預かってきた密書であろう。
 「翅裏」は、まさに天道虫の特長である、背中のつやつやした翅を開くと、その下にある薄い翅のことであろう。
 
 1句目の高野素十の客観描写とは、その写生から生まれ出る発想が全く異なるが、三橋鷹女の眼もまた、鋭く深く「もの」を見据えて思考して、発見している。