第六百十三夜 松本たかしの「羅(うすもの)」の句

   心の方向を静かに顧みよ     佐伯泉澄
  
  愚においては毒となり、智においては薬となる。
  かるがゆえに「よく迷い、またよく悟る」という。
  
 何年も誤って使うと毒となって、自分も他人も傷つける働きをすることになるものだし、正しく使えば薬となって、苦しみを取り除くものとなって働く。だから傷つけあう人を、迷っているというのだし、いたわりあえる人を、悟っているというのである――と。(『弘法大師 空海百話』東方出版)

 今宵は、「羅(うすもの)」の作品を見てゆこう。

■羅

 1・羅をゆるやかに着て崩れざる  松本たかし 『松本たかし句集』
 (うすものを ゆるやかにきて くずれざる) まつもと・たかし

 羅を着ている人はたかしの憧れの女人だと、私はずっと思い込んでいた。確かにこのような粋な女人はいるであろうが、今回読み直したとき、たかしの自画像ではないかと思った。
 たかしもまた、能役者の常着がそうであるように、家にいるときも句会などの外出にもよく着物姿であった。「ゆるやかに着て崩れざる」は腰に帯を巻く男性の着姿であり、着こなしの確かなたかしの着物姿である。帯は着物の要(かなめ)であり、「(帯を締めて)崩れざる」は掲句の要である。

 俳句の要の言葉を得るために、虚子の教えを「只管作句只管写生」であると唱えて、たかしは写生に励んだ。
 
 2・羅の大きな紋でありにけり  本田あふひ 『本田あふひ句集』
 (うすものの おおきなもんで ありにけり) ほんだ・あおい

 句意は、夏の羅を着てのお呼ばれの席のあふひは、家柄の高い本田家の、大きな五つ紋の礼装でしたよ、となろうか。
 
 俳句文学館で初めて、『本田あふひ句集』を手にした。昭和16年1月発行、生成色の和紙の表紙、ソフトカバー、102頁。句集にしては薄い一冊であった。
 表紙を開くと本田あふひの半身の肖像写真があり、ホトトギスなどの文中から想像していた通り美人というほどではなく、男勝りと言われていた雰囲気が漂っている。誰からも姐御のように頼りにされ、慕われ、プライドが高く勝ち気、弱みは絶対見せない人のように見受けるが、人懐っこそうであるけれど、あふひの淋し気な眼差しが気になった。
 頁を捲ると一面、あふひの代表作品〈屠蘇つげよ菊の御紋のうかむまで〉の大らかな蹟筆である。
 次の頁からは俳句。大正5年から昭和14年までおよそ24年という長期間の作品であることを考えると、集中148句という作品の少なさには驚いた。

 『本田あふひ句集』での虚子の厳選と、「此句集は句の多きを求めなかった」という虚子の序文を思ったとき、虚子が俳句に求めるハードルの高さを感じた。大正末期から昭和初期の「ホトトギス」の華やかな存在であったあふひの句集は、意外なほど、滋味のある、格調高い俳句であった。  
 作品には、虚子たちと鎌倉能舞台を作った折の〈しぐるゝや灯待たるゝ能舞台〉、虚子に絶賛された〈屠蘇つげよ菊の御紋のうかむまで〉がある。

 羅(うすもの)とは、絽(ろ)、紗(しゃ)、明石(あかし)、透綾(すきあや)上布(じょうふ)、綾羅(りょうら)、薄衣(うすぎぬ)などの単衣もののことで、昆虫の羽根のように透き通り、薄衣、軽羅などというにふさわしい。冷房のなかった時代に生まれた美しい工夫されたものだが、現在では贅沢な高級品である。