第六百十四夜 青木月斗の「雹(ひょう)の句

 昨日の、NHK日曜美術館で「ホリヒロシの世界」を観た。最初にホリ・ヒロシの舞台を観に行ったのは平成時代の初め頃だから30年近く前になる。ご一緒したのは、折々に新しい世界を覗かせてくれる大先輩の方。
 ホリ・ヒロシは昭和33年の生まれ。青山学院大学卒だという。同窓だったのだ。人形舞という新しいジャンルはホリ・ヒロシが作り上げたもので、時にはホリ・ヒロシよりも背が高く作られた人形とともに踊る。操り人形のようにホリ・ヒロシが黒子に徹したり、恋人同士のように寄り添って舞ったりする。まだ30代のホリ・ヒロシは若く初々しかった。

 昨日のテレビ番組では、釈迦を産み七日後に没し、忉利天(とうりてん)に生まれたと伝えられる摩耶夫人(まやぶにん)との人形舞である。
 摩耶夫人のもつ深さと、ホリ・ヒロシの内面の深さが相乗効果となって、舞が出来上がった。番組では、摩耶夫人の「掌(てのひら)」に触れていた。両手は、どのようなことがあっても闇から苦しみをすくい上げてくれるという。
 もう1つ、人形の「泥眼」にも触れた。人形の眼には金泥だけで黒眼はない。能の女面の1つで、女性の生霊の面として嫉妬に狂った美しい女を表わす。怖さも感じさせるが、異空間への入口なのだという。
 ホリ・ヒロシは現在63歳、画面で拝見しても30年前とは全く違っていた。人形も気高く気品に満ちている。
 
 こうした深みは、ホリ・ヒロシが20歳も年上の舞台脚本であり演出家の堀舞位子さんと結婚したことが大きいという。舞位子さんは3年前に亡くなられたが、妻というよりも、ホリ・ヒロシをより高みへと引き上げる適確なアドバイスをくれる理解者であったという。
 人生の相棒が亡くなってぽっかり穴の開いた日々は、コロナ禍での舞台の叶わぬ日々と重なったが、昨日の番組では、そこには、新たに抜け出して始動する姿を見たように思った。
 番組では最後に、富士山の麓で、摩耶夫人の人形に火を付けた映像であった。暗闇のなか燃え盛る炎のなかで、泥眼は見開いていた。刹那という美しさであった。
 
 私は、もう一度ホリ・ヒロシの人形舞を観たいと願った。

 今宵は、「雹(ひょう)」の作品を見てみよう。

■雹(ひょう):積乱雲から降る5ミリ以上の氷粒。

 1・大龍王怒つて雹を抛ちし  青木月斗 『新歳時記』平井照敏編
 (はちだいりゅうおう いかってひょうを なげうちし) あおき・げっと

 句意は、仏法の守護神である八大龍王が一斉に怒り出し、雹を地上へ放り投げましたよ、となろうか。

 「八大龍王」とは「八龍王」「八大龍神」とも言い、仏教で法華経説法の座に列したという八種の龍王のことで、雨を司る神々である。雹が降ってくるのは地上であるから、八大龍王は、地上の民に怒っているのだ。天の雨水を大切に使っていなかったのであろう。
 
 青木月斗は、明治12年大阪の生まれ。正岡子規門下の俳人。妹の茂枝が河東碧梧桐の妻であり、三女の御矢子が碧梧桐の養女となったが、俳句は碧梧桐の新傾向には属すことはなかった。俳誌「車百合」を立ち上げる際には、子規から〈俳諧の西の奉行や月の秋〉の祝句を贈られた。生涯、子規の道を貫いた。
 
 2・月欠けて野川を照らす雹のあと  堀口星眠 『新歳時記』平井照敏編
 (つきかけて のがわをてらす ひょうのあと) ほりぐち・せいみん

 句意は、群馬県安中市からの景である。満月から少し欠けはじめた頃、月光は野川を照らし出した。この地に降った雹によって、野川の辺りの野の草ぐさは滅多打ちにされてしまっている。この欠けた月に照らし出された野面はまさに、無残やな、といった風情でしたよ、となろうか。
 
 上五の出だしが「月欠けて」であることがいい。欠けている月が照らし出した地上の野の光景もまた、雹に打たれて、どの草の葉も花も欠けてしまっていたのだ。
 その中を流れている野川は、雹が降っても水の面を叩いたあとは水に紛れてしまうのであろう。月光に照らされて雹が水面を叩く際に輝きを見せながら変わることなく流れつづけている。
 
 堀口星眠(ほりぐち・せいみん)は、大正12年群馬県安中市の生まれ。郷里の安中市で開業医となる。水原秋櫻子の「馬酔木」の同人、後に「橡(とち)」を創刊主宰。
 
 ホリ・ヒロシの人形舞から「雹」の句を考えてみたいと思ったのは、激しさにおいて、共通点があるかもしれないと思ったからであった。