第六百十六夜 相生垣瓜人の「風死す」の句

 例句にはどんなものがあるか、探している間に気づいたことがあった。「風死す」を季題としていない歳時記や季寄せが多かったことだ。
 「風死す」は、夏の盛りの中、風が少しでも吹けば心地良いものだが、風がぴたりと止むと、耐えられないほどの暑さの状態をいう。
 朝凪や夕凪や土用凪など、風が止んで波がなくなり海面がおだやかになる、いわゆる「凪」と言われる現象と同じであるが、「風死す」と言えば、暑さがさらに強く感じられ、その息苦しさがひしひしと伝わってくる。
 
 平沼洋司著『気象歳時記』蝸牛社刊によれば、酷暑とは夏の暑さのピークを指し、記録によれば、8月上旬が最も多いという。暑い8月上旬の内でも6日に最高気温を観測した地点が最も多く、最も暑い日となっている。
 8月6日と言えば立秋で、あと2周間ほど。秋風の吹く次の季節を感じることができる。待っていよう。
 
 今宵は、「風死す」「夕凪」の作品をみてみよう。

■風死す

 1・風が死し草々も死を装へり  相生垣瓜人 『新歳時記』平井照敏編
 (かぜがしし くさぐさも しをよそおえり) あいおいがき・かじん
 
 句意は、真夏の午後4時ごろであろう。夏の夕暮れまでの時間は長い、しかも風がそよりともせず、耐えられないような暑さの中である。野の草たちもなびくことを忘れたように、死んだふりをしていますよ、となろうか。
 
 「千夜千句」の第二百四十六夜で既に登場しているが、「風死す」の作品に出合ってしまった。
 
 「風が死し」と「草々も死を装へり」と、「死」という語を2つ詠み込んだ鑑賞の難しい作品である。
 「風が死し」は、ここでは夕凪だと思うが、本来の仕事である「吹く」ことを風は止めてしまったのだ。風に吹かれることがなければ、揺れたり靡いたりすることがないことは、草たちはわかっている。風のない野の草たちは猛烈な暑さに襲われた。だが草たちは揺れることもできない。
 「風が死し」に対して、作者の相生垣瓜人は、「死んだふり」という動きである「死を装へり」を、草たちの姿に見た。草たちは、動かないことで暑さに耐えていたのだった。 
 本当に死んでしまったのではなく、そうであるように見せかける「装へり」なので、客観的な描写である。

■夕凪

 3・夕凪や素足にぬるき汐よせし  久保より江 『カラー図説 日本大歳時記』大正1年
 (ゆうなぎや すあしにぬるき しおよせし) くぼ・よりえ
 
 句意は、夏の夕べに海辺で足を漬けてみると、少しは水の涼しさがあると思っていたが、生ぬるい波が押し寄せてくるばかりでしたよ、となろう。
  
 久保より江は、明治17年、愛媛県松山市の生まれ。漱石が一時下宿した愚陀仏庵は久保より江の祖父も持ち家であり、漱石との交友が生まれた。医学博士の久保猪之吉の妻。愛猫家で猫の作品を多く詠んだ。ホトトギスの同人。のちに大阪の「山茶花」の婦人雑詠選者。
 掲句は、大正元年作。

 4・夕凪や仏勤も真つ裸  宮部寸七翁 『ホトトギス 新歳時記』
 (ゆうなぎや ほとけづとめも まっぱだか) みやべ・すなお
  
 句意は、夕方、毎日仏前で勤行をしているが、熊本の夕凪の暑さといったら耐えられないほどの暑さである。ついにステテコ1枚の上半身真っ裸となって仏壇に向かいましたよ、となろうか。
 
 宮部寸七翁(みやべ・すなお)は、明治20年、熊本県生まれ。新聞記者。ホトトギスの俳人。一時、中村汀女の俳句の指導をしていた。

 今週一杯は、「風死す」の日々がつづきそうな気配。窓から見える月はほぼ満月に見えるが、暦では満月は24日だそうだ。