第六百十八夜 山口誓子の「プール」の句

 2021年の休日カレンダーは、東京オリンピック開催のため、「海の日」は7月22日、「スポーツの日」は7月23日、「山の日」は8月8日に移動となり、本日7月23日は、本来は10月11日であった「スポーツの日」が、前倒しとなった。
 
 近代オリンピック競技大会は、1896年(明治29)、古代オリンピックの故郷のギリシャのアテネで第1回目が行われ、今日は、第32回オリンピック競技大会の開会式である。
 東京で開催のオリンピックは1964年(昭和39)につづいて2度目である。当時の私は青山学院大学の1年生であった。代々木の国立競技場や神宮球場が近くにあり、渋谷、代々木、原宿、青山の街は外国人が大勢いた。通訳のアルバイトして英語力を高める仲間もいたが、人見知りの私は申し込みもしなかった。今から57年前のことであった。
 
 今日は、夏の競技の俳句を見てみよう。

■プール

 1・ピストルがプールの硬き面にひびき  山口誓子 『炎昼』
 (ピストルが プールのかたき もにひびき) やまぐち・せいし
 
 句意は、競泳レースの決勝戦かもしれない。プールの水面は平らかで静まっている。それぞれの選手たちは飛び込む準備が整っている。緊張しきった選手、静まっている水面、ピストルを打つ人、何もかもが緊張しきっている。その瞬間、ピストルが鳴り、水面に響き渡った、ということだろう。
 
 「ピストル」と「プール」の「P」音の繰り返し、「硬き」「ひびき」の「き」という脚韻の効果によっていよいよ緊張感がピークとなる。ピストルが鳴った刹那が緊張のピークであり且つ緊張のピークが去る瞬間でもある。
 
 「千夜千句」第四十五夜の中で「二物衝撃」のことは次のように触れている。
 
 近代俳句の手法の二物衝撃は掲句の誓子作品を始めとするとも言われ、芭蕉や正岡子規の「取り合せ」配合論の延長上のものでもある。そして、かつて新傾向運動で試みた碧梧桐の取り合せ作品に見られなかったのは、この二物衝撃の緊張感である。
 誓子の二物衝撃とは、「即物具象の方法」と「モンタージュ法(映画からヒントを得た写真構成)」を用いたものであり、後に、創刊主宰した「天狼」の合言葉「生命の根源を掴む俳句」を得る手法となった。

■ダイビング

 2・飛込の途中たましひ遅れけり  中原道夫 『アルデンテ』
 (とびこみの とちゅうたましい おくれけり) なかはら・みちお

 句意は、プールで飛込はしたことはないが、高い飛込台からプールへ落ちるまでのスピードの中で、自分の中の何かが遅れて付いてきていることを感じていますよ、となろうか。
 
 たとえば、真夜中のハイウェイを走っていると、どんどんスピードがでてくる。もう少しスピードを楽しんでみようか・・! だが、ふっと弱気になる瞬間がある。自分が車を走らせているのではなく、弱気になるのは、車に走らされている瞬間である。
 中原道夫氏の「たましひ遅れけり」と感じることと、似ているのではないかと思った。しかし車はスピードを制御することができるが、飛込台から一旦飛び込んでしまったらスピードを制御することは可能なのであろうか。
 中原道夫氏の中の、私の好きな1句である。

■泳ぎ

  東京に帰る浮輪を手放さず  深川正一郎 『正一郎句集』
 (とうきょうに かえるうきわを てばなさず) ふかがわ・しょういちろう

 句意は、江ノ島か湘南海岸へ家族で遊んだ帰りの電車の中のこと、子は、1日遊んだ浮輪を膨らませたまま抱えて、放そうとしないのですよ、となろうか。
 
 子どもが小さい頃というのは、たのしく遊んで嬉しかったときの道具は、手から放したりはしない。帰りの電車でも、夕御飯のテーブルでも、夜の布団の中までも抱えて眠り込んでいたりする。かわいいな! なつかしいな!

 深川正一郎は、1902年(明治35)-1987年(昭和62)、高浜虚子、年尾、稲畑汀子の三代にわたって師事し、「ホトトギス」同人。コロンビア勤務時代に虚子が俳句朗読のレコードに立ち会っている。