第六百十九夜 高浜虚子の「夏帽振る」の句

 外国映画に出てくる帽子をかぶった男性や女性たちのなんという素敵さ。アラン・ドロンが鏡に向かって、いちぶの隙もなく帽子の微調整をしていた映画のタイトルは何だっただろう。
 
 日本人の帽子の歴史は西洋と比べれば遥かに短い。男性の帽子の方が根付くのが早かったが、お洒落な帽子姿を見かけるのは今でも銀座が多いかもしれない。
 大人の女性は日傘が今も主流であるが、夏帽子は、日本の夏の猛暑さから守るために子どもたちから流行っていった。小学生たちはみんな被っている。中学生は登下校だけ被り、高校生や大学生はほとんど被っていないように思う。

 今宵は、「夏帽子」「夏帽」の作品をみてみよう。

■夏帽子
  
 1・火の山の裾に夏帽振る別れ  高浜虚子 『五百句』 
 (ひのやまの すそになつぼう ふるわかれ) たかはま・きょし

 句意は、上高地の宿の若い女が、活火山の焼岳の麓まで送ってきてくれた。虚子たちはその娘に夏帽子を振って別れをつげましたよ、となろうか。
 
 虚子は昭和6年6月に、田中王城とともに上高地へ旅をした。2、3泊して焼岳へ向かう途中まで送ってきてくれた宿の女と道々の会話から、〈飛騨の生まれ名はとうといふほととぎす〉の句の「とう」という名であること、飛騨の生まれであることなど知った。
 
 『喜寿艶』には、〈飛騨の生まれ名はとうといふほととぎす〉について、次のように書いている。
 
 たしか時事新報の依頼であったと思ふが、上高地に行つた事があつた。そのとき飯の給仕に来た、色の黒い愛嬌のない少女に、お前の名は何といふかと訊くと、とうと云ふと答へた。珍しい名だと思つて聞き返したが、とうと再び答へた。何処の生まれかと訊くと、飛騨だと云つた。この上高地では昼も夜も時鳥(ほととぎす)が鳴いてゐた。
 2、3日滞在して帰る自分に1人の山男が荷物を持つて麓まで行く事になつたが、このとうといふ少女も途中まで送つて来た。梓川の清流に沿うて行くうちに或る大きな岩の所まで来た。向ふには焼岳が煙を吐いてゐるところであつた。その焼岳の麓を通つて飛騨の方から来たといふ話をとうがした。私はその辺りからとうに帰ることをすゝめた。とうはそこに立ち止つてしばらく私を見送つてゐた。私は夏帽を手に取つて振つた。とうは手を振つてこれに答へた。
  火の山の裾に夏帽振る別れ

 この作品は虚子の『喜寿艶』にも入っている。「艶」とあるからには妙齢な女性ばかりと思っていたが、とうは、15、6の愛嬌のない少女であった。虚子にとって「艶」とは、どうやら愛とか恋の相手ではなく、心根の純な女性のことなのだろうと虚子の作品に触れてきた間に、いつしか、そう思うようになった。
 

 2・人生の輝いてゐる夏帽子  深見けん二 『菫濃く』
 (じんせいの かがやいている なつぼうし) ふかみけんじ

 句意は、夏帽子のよく似合う人とすれ違った。回りの人たちの真ん中にいてお喋りしているその女性は、声も目も口元も躍動感に満ちあふれていた。暑さ避けの夏帽子のはずなのに、暑さの方はとっくに退散してしまっている。行く先々で、輝きを撒きちらしているように見えるのは、きっと彼女の人生そのものが輝いているからであろう、となろうか。