第六百二十二夜 泉幸子さんの「誰かがゐる泉」の句

 真夏の暑さのつづく頃になると、泉幸子さんのことを思い出す。数日前のことだ、私の目に、書棚の句文集『安らけし』が飛び込んできた。そうだった。
 今日は平成25年(2013年)7月27日に67歳で亡くなられた泉幸子さんの命日であった。もう没後8年目となる。
 
 句文集『安らけし』は、幸子さんの没後すぐ、私あらきみほが編集した。
 幸子さんのご主人の泉正治氏の強いご要望は、句集ではなく句文集。幸子さんが平成11年に元芝句会で深見けん二先生に師事を始め、平成15年に「花鳥来」に入会され平成25年に亡くなるまで、「花鳥来」に発表された幸子さんの俳句、鑑賞、エッセイ、また幸子さんの作品を鑑賞した句友の文章などの全てを、余さず網羅した1書である。
 幸子さんが亡くなられた後の、秋の「お別れ会」に何とか間に合わせることができた。
 その後、8年の間に、私はご主人の正治さんと2度お会いした。幸子さんの俳句とトールペイントの作品で、壁掛けにしたいということであった。その時、正治さんがご持参した『安らけし』は、たくさんの付箋が付され、どのくらい読み込んだかと思うほどの古色蒼然さであった。

 今宵は、泉幸子さんの俳句を紹介させていただこう。
 
■1句目

  安らけしいつも誰かがゐる泉
 (やすらけし いつもだれかが いるいずみ) 【泉・夏】

 「花鳥来」例会、石神井公園吟行での作品である。石神井公園は、駅から近いボート池と道を挟んで三宝寺池の2つに別れている。この「泉」は、三宝寺池の奥の木立の中にあって、泉は三宝寺池と地下で繋がっているようだ。薄暗い木立の中に、ぷくっぷくっとおだやかな膨らみを見せて湧く泉は、誰もが心が和むのであろう。必ず、誰かが立ち止まって佇んでいる。
 
 この作品のよさは調べである。上五で切れてはいるが、一句仕立てのごとく滑らかに中七下五へとつづいている。句文集には、家族の子どもたち3人とご主人のエッセイが書かれている。ご長男の文の中に、「大きな営みに生きる」「母はにぎにぎしく活発な家庭によって健全に育ってくれることを考えていたに違いない」という言葉があった。
 その時、〈安らけしいつも誰かがゐる泉〉の句は、まさに泉幸子さんそのものが詠まれていると、思った。代表句の1つであり、連作のタイトルになり、句文集のタイトル『安らけし』にもなった句である。

■2句目

  病葉のどの木にもあり雨上る
 (わくらばの どのきにもあり あめあがる) 【病葉・夏】

 この作品も石神井公園で詠まれたという。幸子さんは、「花鳥来」の小句会の「明日香の会」にも所属していた。この会は石神井公園定点句会で毎月ここに集って吟行句会をした。石神井公園は、ボート池の片側一面が林であり、三宝寺池は回りがぐるりと林である。
 この作品は、2012年「花鳥来」巻頭の10句の中にあり、次の、けん二先生の選後感想がある。
 
 雨がちょうど上がった。1つの木を見ると病葉が落ちている。そう思って、又別の木も見るとその木にも、そして又他の木にもあったのである。「病葉」は、夏、青葉の中に、黄色に或いは白っぽくなっている葉で、土に散り敷いてもいる。この句、雨が上がってはっきりしたもので、作者は、はっとして驚き、そして納得もしているのである。(深見けん二)

■3句目

  土間ぬけるひかりに立ちし遍路かな
 (どまぬける ひかりにたちし へんろかな) 【遍路・春】

 幸子さんは四国の香川県高松市の生まれ。幼い頃から、日常的に遍路を見たり、お遍路さんが立ち寄れば接待をする家族を見て育った信仰心の篤い方である。
 この作品は、お遍路さんを詠んでいる。春の暖かな日、開け放たれたままの土間にお遍路さんが立って鈴を鳴らしている。室内から眺めると、土間をぬける「光(ひかり)」に立ったお遍路さんの姿は、日差しを遮断する形となって真黒としか見えなかったと思われるが、「ひかりに立ちし」と詠んだことで、お遍路さんに手を合わせたであろう幸子さんが見える作品となった。
 
 今日の命日、私は久しぶりに、幸子さんの「花鳥来」での10年間の足跡を、1冊となった『安らけし』の中に見た。良い歳をとるために遍路の「同行二人」ならぬ「同行俳句」と定めて倦まず弛まず行くと決めて進まれた俳句の道であった。
 幸子俳句の素晴らしさが改めて心に響いたが、また『安らけし』に収めた俳句も文章も全てがアンサンブルとなった結果の1句1句のようにも思えてきた。